恐怖の正体~不動産CF月100万円(世帯)を達成した私が何を恐れて勤め人を続けるのか?~

資本主義の分析

私の経済的独立(自由)の定義

経済的独立とはサラリーマンをしなくても自分の家族が生活できる状態

と、定義している。
細かいことを言えば、
「生活保護」でも経済的自由は達成できるし、
山に籠って自給自足をしても経済的自由は達成できる。
坪1000円の山を買って、自力で丸太小屋を建てて、多少の農地を耕し、
野生動物を狩って肉を食い、魚を摂って食べても経済的自由ではある。

しかし、資本主義経済、社会、つまり貨幣経済のド真ん中で
生活しながら、経済的に不自由しないという状態を目指すのが、
私が言うところの、経済的独立(自由)なのである。

親の収入に依存しているように見える学生であっても、
FXや株式で毎月100万円の利益を安定的に稼いでおり、
その収益が将来に亘って保証されていると言えるのであれば、
それは経済的独立と言って差支えない。
(著しく低い可能性ではあるが)

その前提に立った上で、何故、私は勤め人を続けているのか?
8月15日というお盆真っ只中で出勤しながら考えてみたい。

自分で恐怖を創造してしまった

さて、月100万円もCFがあれば、正直生活には困らない。
大きな贅沢をしなければ月30万円もあれば、
食って、寝ることはできる。

それが100万円もあるのだ。
それでもなお、なぜ?勤め人を続けているのだろうか?

目的論的に解釈すれば
「勤め人を続けて比較的高い給与収入が欲しいから」
勤め人を続けているのだと言える。
給料がなければ、
当たり前だが、私は明日にでも辞表を出すだろう。

つまり、私は給与が欲しいのだ。
給与だけで生活はできるし、給与全てを使いきることもない。
賞与が出れば全額、毎月の給与から毎月20万円ほど貯蓄もできる金額だ。

つまり、私は労働力を売って「カネ」が欲しいから
勤め人を続けているのである。
ではなぜカネが欲しいのか?

賞与の全額と、月20万円の余剰金が産まれるので、
私はこの金を貯える方向で動く、
事実、既存の借金を返済しているし、
新しい不動産を買ってさらに不動産収入を得ようとしている。
突発的な修繕費に備えてキャッシュポジションを高めている。

実際Twitterで発信している、
メガ大家の皆さんも同じような行動をしている。
買えば買うほど、固定費が増える。
終わりなき戦いである。

やはり、カネだ。金が欲しいから私は十分なCFを得てなお、労働しているのだ。

その恐怖の正体とは、まさに自分が招き寄せた恐怖に他ならない。
私が結婚した理由の1つに
「正社員の妻と世帯を構えれば、年収は2倍で生活コストは1.2倍程度で抑えられる」
という『打算』がある。
もちろん妻は女として大変魅力的であるし、妻として重要な能力である、
出産能力、ストレス耐性など、妻とすべき女性であったことは間違いない。

それに加えて経済的安定という目的もあったという話である。
しかし、結果的に私は妻と3人のムスコを養育する義務を抱え込んだ。
1人であれば背負いこむ必要がなかった責任を自ら招いたのである。

経済的に多少安定するであろうという「打算」で所帯を持ったことで、
家族の生活への責任という「恐怖」も同時に招き入れてしまったことになる。

家族はもちろん1つの例だ。
転職をしていなければ私は今ごろ1社目の会社で年収700万円程度を得ていただろう。
しかし、それはそれで生活できていた筈である。
その場合には経済的独立のハードルはおそらく月50万円の不動産CFで満足していた。

転職を繰り返して年収を上げたことで、子供に必要な養育費の見積もり額も上がったし、
生活コストも上がった。

つまり求めれば求めただけ、経済的独立、『安心』への必要額も増えたと言える。

資産が大きくなっても死ぬまで安心はできない

究極的に安心するためには、
10億円、利回り5%の都心の不動産があり、
無借金に近い状態が必要だと思う。
しかし、これはどう考えても70歳までの時間を要する。
10億円は難しいことではないが、
無借金が困難だ。

実際私の所有物件も、妻の所有物件も、
非常に老朽化した建物である。
修繕費もかかるし、実際妻も建替に関して自己資金の不足に頭を悩ませている。

私が28歳で結婚した時には、
そんな悩みは存在しなかった。
単に、「夫婦で不動産を増やして、成り上がろう」という青雲の志があっただけである。
それなのに、わずか15年で月100万円というCFを得たにも関わらず、
将来に対して不安、いや「恐怖」とも言うべきものを感じているのは、
一体どういうことか?

つまり、カネも資産もいくらあったところで
「恐怖」からは逃れられないのである。

医師で年収4,000万円、不動産で資産規模100億円と言う投資家がいたとする。
この人も同じ理由で稼ぎ続けている。
恐怖から逃れ、安心できずにいるのだろう。
資本主義の犬として、一定の成功を収めた私達が次に目指すべきステージは、
資産規模の拡大でもBSの安定化でもない。

ありもしない「恐怖」を克服することなのだと思う。
しかし、絶対に「恐怖」は消えない。
なぜならば、人生とは不確実であるからだ。

不確実であり続ける人生と「恐怖」はセットであり、
切り離すことができない。

であれば解決策は1つしかない
「恐怖」と友達になり、恐怖を克服する「勇気」を持つことである。

恐怖を克服する「知恵と勇気」

極論してしまうと、
経済的独立を目指す心理そのものが「恐怖」に追い立てられた結果ではなかったか?
経済的に困窮して、一家で貧しい生活をする恐怖。
親戚一同から笑いものにされる恐怖。
同級生から見下される恐怖。

その恐怖から逃れるために、
私は転職を繰り返し、長男にSAPIX、お受験をさせた。
さらに妻が不動産を相続したことを喜んだこともすべて「恐怖」に追い立てられた結果ではなかったか?

恐怖を克服する手段として、
「経済的独立」を掲げて、月100万円の不動産CFを得てなお、
勤め人にしがみついている私は、結局恐怖を克服できていなかった。
未だに恐怖から逃げ回っているのである。

今、必要なことはこの恐怖を克服する知恵と勇気なのである。

そもそも「経済的独立」は必要ではない

人間を超越したDIOは言う。
「人間は不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」と。

ならば不安や恐怖を克服し、安心することが目的だとしたら、
その目的を達成する手段としては「経済的独立」すら不要だ。

65歳まで、適度に労働して安定的に勤め人をできる能力があれば、
別に不動産を買う必要もない。
家族が食うだけの田と畑があり、
月10万円程度の金銭収入を得る便利屋をやって不足分を買って生きても良い。

恐怖から逃げるのではなく、
向き合ってみたら、案外恐怖なんてものは、思ったほど強敵ではない。
亡霊に追いかけられたものの、亡霊なので、あらゆる攻撃が
自分にヒットしないことに気づくようなものである。
恐怖と向き合い、寄り添ってみると、
逃げるべきものではないことに気づくのではなかろうか?

私の祖父は貧しく産まれ、貧しく生き、貧しいまま死んだのだが…

私の祖父は10人近くいる兄弟の7番目に生まれた。
相続する土地もなく、
戦争未亡人が一人で暮らす家に養子として入った。
何も持たずに祖母と結婚した。

その後戦争に駆り出されて、
命だけを持って帰ってきて、
父を含む4人の子供を食わせた。

田んぼを借りて耕して、
地主に収めた米の残りを食って生きたのである。
頭もよくなかったので、稼ぐこともできなかったが、
山っ気のある父親が勤め人農家+酪農家として現金を稼ぐので、
労働力を提供した人生だった。

70代後半になって父に、
おい〇〇(父)、俺もさすがに肉体労働がしんどい。
畜産は辞めさせてくれ。

と言い出して、実家は畜産を廃業した。

そんな祖父でも81歳まで立派に生きた。

何を言いたいかと言うと、
「人生それほど金がなくても生きられる」
ということを言いたいのである。

「43歳まで必死に走って来て、やっと経済的独立を達成して気づくのかよ!」
と、我ながら思う。

経済的独立を達成したのにも関わらず、
皆が夏季休暇を取得し、
1人でオフィスに出社して考えたが、
どうやら私はトラックを1周走り終えて、再びスタートラインに立ったようだ。

そもそも自由に代償は不要だ、自由はタダである

「人は生まれながらにして自由である。」

「基本的人権」と言うヤツだ。

確かに自由だ。
そして、その最初から持っている自由を「売って」
金を得ることが「労働」である。

そもそも自由だったのに、
それを手放したことで不自由となった。

その不自由から逃れるために、
沢山の荷物を背負い込んでしまう。

背負った荷物を守るため、
失う恐怖から逃れるために、
再び労働している。

そもそも私は完全に自由だったし、
恐怖なんてものは、
私の命を奪うこともできない。
取るに足らないものである。

43年生きて、一周回って、スタートラインに立った気がする。

2周目の人生

43年で1周目を終えて、
私はそもそも自由だったのに、
色々な荷物を背負い込んで、不自由になっていたことに気づいた。

経済的独立(月100万円不動産キャッシュフロー)を得た結果、
そもそも私は完全に自由な存在で、「恐怖」はずっと私の肩にあり、
動かなかったし、何もしていなかったことに気づいた。
これに気づくことが1周目の目的だったのかもしれない。

結局1周してみたら、またスタートラインに立っているわけだが、
けして無駄ではなかったと思う。
まさに「強くてニューゲーム」である。
私のレベルは44になっているし、
手には高収入勤め人という武器と、不動産CF100万円/月がある。

2周目は違った目的を持って臨みたい。

そもそも自分は裸だったし、
今も裸だ。
人生は恐怖するほど最悪なことは発生しないことにも気づいている。

2周目は恐怖を頭にのせながら、仲間に入れたうえで楽しみたいと思っている。

ちなみに2周目の目標は
「地方豪族になる」
これだ。

1周目は個人主義でやってきたが、
その過程で家族ができた。
嫁子供以外の親族も長らく放置してきたが、
2周目は親族と共に地方豪族になって資本主義ゲームの天下に挑むことを楽しみたい。


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