中世までは逆だった
1774年 ルイ16世の妃となったマリー・アントワネット。
彼女は
「パンがなければケーキを食べればいいじゃない?」
と、言ったとか言わないとか。
庶民が食うや食わずの生活をしている時に、
当時の貴族達は豪奢(ごうしゃ)な生活をしていたのである。
当時は庶民が質素倹約に励み、納税し、
納税を受領した貴族達が消費するという構図だった。
今も同じだと思っている人は多いだろうが、
実態は大いに異なる。
今では金持ちが倹約に励み、余剰資金を資産に投資している。
貧乏人は生活を満たせるギリギリの給与を受け取り、
それを全て消費しているのである。
昔は金持ちが消費し、貧乏人が倹約していたが、
今は金持ちが倹約し、貧乏人が消費しているのである。
価値観の転換というヤツだ
なぜこのような事態になったのか?
色々理由は思いつくが、
1つは生産力の飛躍的増大である。
産業革命を経て、人は消費量を上回る生産力を手に入れた。
アメリカのダイエット産業に消費される金額で、
世界の貧困人口全員に十分な食料を与えることができるという調査もある。
凄まじい生産力を獲得した人類。
そしてその生産力(資本)を有する資本家(金持ち)は、
産み出した大量の商品を購入する「消費者」が必要となったのである。
消費者が「質素倹約」しては商売にならぬ。
あらゆる広告宣伝の手段を駆使して庶民に価値観の転換を強いたのである。
「欲望のままに買い、食い、着飾ることは正義である」と。
消費という宗教
欲しいものを買うことは正義
食べたいものを食べたいだけ食べることは正義
何という甘美な正義であろうか。
中世までは生産力が低かったので、
庶民に倹約させて、余剰部分を奪って貴族達が消費することで成り立っていた。
現代では資本家が資本をより増大させるために
庶民の消費をあおっている。
喰い、太らせ、痩せさせるためにジムに行き、健康食品を買い、医療費を払う。
このスキームは大いにヒットしている。
あらゆる人類はこの「消費教」の信者であると言える。
消費する側から資本家に移動しよう
資本主義というゲームでは、
資本家にならなければ労働者になるしかない。
労働者は自分の労働力を売って資金を得る。
そしてその資金を消費するように促されて消費する。
何も残らない。
私を含めた大多数がそうだ。
資本家とは「生産手段を持っている者」と言い換えることもできる。
私はまだ労働者であるが、
生産手段も持っている。
そう、それは「貸家」である。
家を貸すサービスという「商品」を持っており、
その商品を産み出す手段「貸家」を持っているのだから、
私は半労働者、半資本家であると言えよう。
この消費ゲームは資本家が仕掛けた罠だ。
資本家は国家と結託して「労働者=消費者」を大量生産するために
「教育」を行っている。
バカみたいな体育会系の部活はまさに従順な労働者を育成する教育システムである。
このクダラナイ仕掛けられたゲームから抜け出して資本家に回る以外に、
私達が自由を奪い返す手段はない。
今我々がなすべきは「資本家」のルールに従うこと。
即ち質素倹約に励み生産手段を持つべく投資することである。
をはり