人は皆、転落と紙一重である。

資本主義の分析

50歳、両親の介護のために退職、再就職できず。

よくある記事である。
失敗した人の体験談的な記事。

株で失敗、不動産で失敗、離婚で人生転落などなど。

人は皆、安心して生きたいという希望を持っている。
私は比較的危ない橋を渡ろうとしてしまうタイプだが、
それでもなお、今の経済状況を維持したいし、
あわよくばもっと経済状態を良くしたいと思っている。

勤め人などは典型であるが、
一歩人生のレールを踏み外してしまったら、
天国と地獄程の違いがあるものだ。

私も転落と紙一重

勤め人大家で偉そうにブログなんぞを書いている私も紙一重である。
ボロ戸建、解体が近い区分マンションを複数保有しているが、
借金も8,000万円残っている。
その借金は団体信用生命保険もかけていない借金だ。

もし、勤め先から解雇され、保有物件が空室だらけになったとしたら、
一気に資金繰りがタイトになるだろう。
息子の「名門お私立中学」の学費を支払うのも辛くなるだろうし、
妻とも円満ではいられなくなるだろう。

返済が滞ったりしたら即担保処分だろう。
二束三文で物件は買い叩かれるかもしれない。
一文無しになって家族から見放される。

解雇されないとしても、
今日、帰宅途中に交通事故に遭うかも知れない。
ウマい投資詐欺に騙されても似たような末路になるだろう。

そう、この社会に生きている以上、誰もが転落してしまう危険と隣り合わせである。

経済的自立を果たしても…

人はその恐怖から逃れようとして、生命保険に入る。
医療保険にも入る。
貯蓄をする。

勤め人だから苦しいのだと悟ったものは商品を持って独立するかもしれない。

しかし、
だがしかし、

経済的自立を果たして起業してある程度商売が軌道に乗ったとしても、
完全にリスクを排除することはできないのである。
結局は転落してしまう恐怖は消えない。
死ぬまで消えない。

恐怖に立ち向かうのは勇気、そして知恵

結局どうあっても恐怖はまとわりついてくる。
不確実な将来は私達の足元をデコボコにする。

つまづいて大けがをする可能性はどうあっても消せないのである。

恐怖を完全に消すことはできないし、危険から完全に自由になるには死ぬしかない。

それを救うのは賢者のアドバイスでもなければ生命保険でもない。
ましてや死などでは、けしてない。

立ち向かうのは勇気であり、知恵である。
賢者を自称するインフルエンサーに頼ろうとして、
結局騙されて養分になる。

将来の不安を消そうとして新築ワンルームを買う。
そう、不安があるからこそ、それにつけこむ詐欺師どもが絶えないのである。

私たちに必要なのは、
生きることとは恐怖そのものであり、不安とは日常なのだと諦めることである。
そして恐怖や不安と手をつなぎ、共に歩むと覚悟を決めることだ。

恐怖と不安が作り出す闇を照らすのは、自らの勇気と知恵しかない。
そして1日1日、いや、一瞬一瞬を全力で走るしかないのである。
そうして走る覚悟を決めたものだけが、人生の妙を体得するのだと思う。

今、私の空室は3室となり、キャッシュフローが20万円以上減った。
そして恐怖が襲って来た。
いや、恐怖が襲って来たのではない。
その恐怖はずっと私と共にあったのだ。
今、キャッシュフローが悪化して、私が恐怖に注目したに過ぎない。

そしてさらに解雇、病気、事故という、将来への不安にも注目しているのだ。
覚悟を決めるしかない。
できることは、リフォーム、募集しかない。
そしてさらに倹約に励み、収益性の高い不動産で身を固めていくのだ。

つづく