私は今回の地震に関して寄付は一切しない

資本主義の分析

能登地震

私は能登地震に関しては寄付はしないことに決めている。
まあ、能登地震に限らず寄付していないのだが。

とはいえ、セレブな人が寄付をするのはいいことだと思うし、
こっそり寄付をして、周囲の人が大いにバラしてくれるといいと思う。
自分で言うのはちょっと恥ずかしいだろうから、
親しい人にお願いするのがいいと思う。

私が将来金持ちになったら、それをやると思う。
息子を使って、「親父がこんなに寄付していた。その金俺にくれよ」的な。
息子が協力してくれなかったら、自作自演でやる。

私が寄付をしない理由は、自分が寄付してもらったことがない。
親以外から善意を向けられた記憶がないということも大きな理由の1つである。
社会というものは私に対してきわめて冷たかったのがその原因だろう。

ただし、私は世間を恨みに思ったりはしない。
単に「そんなもんだ」と思っている。

私が寄付する相手は親、兄弟、近しい親戚だけだ。
石川県は通過したことしかない。
申し訳ないが、縁もゆかりもない。
よって寄付はしない。

東日本大震災ではいとこが自宅を流されたので、
見舞金を出した。
それはいとこ。だからである。
血が近い親類だから支援したのである。
そういう意味で私の許容する世間は狭い。

芸能人であれば、日本中にファンがいるだろうし、
イメージも大事だから有名人であれば寄付をしてもいいと思う。
しかし、勤め人クラスの皆さんは全く寄付に対してプレッシャーを感じる必要はない。

やりたいやつがやればいいのだ。

会ったこともない地方の人間には興味がない

言わなくてもいいのに書いてしまう。
ちなみに私の知人で石川県出身の知り合いはゼロだ。

この点も全く寄付をしようと思えない理由の1つである。

さらに言うと、
仕事で石川県の人と関係を持ったこともない。
この点でも寄付など思いつかない。

富山県であれば、勤め人で関係があった先があるので、
そこが被災していたら、連絡して何か送りたいとは思う。
しかし、輪島も能登も人生において全く接点がない。

そんな地方になぜ私が寄付をしなければならないのか?

いや、まったくその必要はない。

縁もゆかりもない他人に対して何か被害を受けたからと言って寄付をしないといけない理由はねえ!

それでいいと思う。

まずは家族に金を使え、自分が金持ちになれ

なんだか天災があると、寄付だとか募金だとか、訳のわからんプレッシャーがある。

お前はいい人か?
と、問い詰められているようで気分が悪い。

アレだ。

通らなければならない道で、中学生が「募金おねがいしまーす」と、
やっているのを見ると虫唾が走る。
募金しないヤツは悪い奴だ。
と言わんばかりに道を占領している。

私は無視して通りすぎる。

助け合うのも大事だが、
それはまずもって自分に近いところの人間同士でやるべきだと思う。
近所、同僚、友人、親戚。
そこからだ。
ハッキリ言うとだな。
縁もゆかりもない土地の被害にまで寄付をする前に、
この正月に会えなかった親戚に会いに行く方が大事なんだよ!

何も縁もゆかりも恩もない県の被害にまで、同情する必要などない。
謹んで、お見舞い申し上げる。
それで十分だ。

寄付寄付って、罪悪感を押し付けようとしてくるのは非常に不愉快である。

むしろ1円たりとも払わん!
と、思ってしまう。
税金はそれなりに納付しているので、政府がしっかりやってくれ。

ああ気分が悪い。

をはり