出来る人に仕事が集中する問題

勤め人卒業関連

共産主義の勤め人ワールド

勤め人の世界は共産主義の世界である。
資本家が労働者を酷使しすぎたため、
マルクス主義の台頭を許した。

資本主義とマルクス主義の戦いでは資本主義が勝利したものの、
資本主義は反省を迫られることになった。
それが「労働法」という形で成立し、
我が国でもこの法が成立し、数々の裁判例が蓄積されることになった。

この結果、労働者(正社員)を解雇するには極めて高いハードルが
企業には課せられることになる。
ほとんど成果を出さない勤め人も、
資本家は解雇できない。
ワリを喰うのは「仕事がデキる勤め人」である。

仕事がデキる勤め人の給与も、
仕事がデキない勤め人の給与も、
ほとんど変わらない。
2倍も差が出たらそれは大いに成果主義の会社だと言えよう。

20代の社員と50代の社員という意味ではなく、
同世代の社員同士での格差という話である。

仕事がデキる勤め人の選択は
「自分の労働力を高く買ってくれる企業に転職する」
このパターンが最も多い。
しかし、最良の選択肢とは
「自らが資本家となり、商売をする親玉になる」
コレである。
さらに第三の選択というものがあり、
「勤め人としては標準的な成果を出し、気力と体力を温存、温存したパワーを使って自分の商売を並走させる」
このような選択肢もあり得る。

第三と言ったが、第4、第5も当然あり得る。
勤め先の仕事をパクって起業するために、
懸命に働き、成果も出し、顧客ごと引き連れて独立するなど。

勤め人であろうと大家であろうと、
選択肢が限られていると思ってはいけない。
自分の知恵と勇気で、選択肢は無限大だ。

話がそれてきたが、
要するに労働者(=勤め人)の世界は社会主義のルールが組み込まれていて、
健全な資本主義の精神を持った人には生きづらい世界なのだ。

内部的には社会主義だが、外部とは資本主義

日本経済が複雑なのは、

対内的には社会主義
対外的には資本主義

という二面性があることである。

2つの競合する企業があったとしよう。
3つでも4つでも良いが、
この企業同士が争う時、ここでは資本主義のルールが適用されるのである。

より安い価格で、品質が高い商品・サービスを提供する企業が勝利する。
そしてその勝利の果実は勝った企業が総取りする。
100億円の市場で80億円を獲得するのだ。

しかし、対内部という意味では労働者は社会主義なのだ。
デキる社員もデキない社員も同じ給料で働く。
人件費の予算が1億円であれば、20人の社員それぞれが500万円ずつである。
多少の差は付けられるが、
労働者の給料が「労働力回復のコスト=生活費」である以上、
限界がある。
平等主義の組織同士が、競争主義の世界で争っている。

これが現代資本主義の二面性なのである。

労働者の平等社会に身を置くのか?
経営者の競争社会に身を置くのか?

私達には2つの選択肢がある。
この点を理解しなければならない。
そして選ばなければならない。

自分はどっちなのだ?と。

©なかやまきんにくん

仕事ができるひとに集中する。

仕事ができる人に集中するのはなぜか?
それは現代資本主義の「対外的」関係性に起因した現象である。

より品質の高いサービス、商品を生み出すのは
結局は労働力である。
高品質、高付加価値の商品を求める資本主義の引力に引っ張られて、
社内でも優秀な人に仕事が集中してしまうと言える。
資本主義の引力だ。

そもそもデキない社員に業務をさせても、
「終わらない、品質が悪い」ので、
お前じゃダメだ、こっちの人にやらせよう。
と、なる。

あったりまえである。

こっちの人に任せたら、
あれ、1日で終わった。
デキない社員は10日前に依頼した仕事がまだ終わっていないと言う。

次の仕事もこっちの人(できる社員)にやらせよう。
と、なりますわな。

できない社員はクビにして、できる社員を採用したい。
と、思ってもそれはできない。
対内的には社会(共産)主義なのだから。

できない社員は有給休暇を取得した。
3日も出社しない。

できる社員はバリバリ働いている。
有給休暇も取得しない。
成果は5倍以上だ…。

可哀そうだから、給与は5倍にしてあげよう。
「とはならない」
できない社員はクビにできないから、
できる社員の稼ぎから給料を払うのである。
人件費の予算は限られている。

と、まあ、こんな理屈で、
勤め人同士(対内的関係性)では、給与は増えない。
できる人に仕事は集中して、できる人はさらに忙しくなる。
休みも取れない。
できない社員は有給も取り放題。

上司がパワハラしようものなら、
iphoneで録音、動画を撮影してSNSにUPする。
パワハラで損害賠償請求だ。
メンタルがやられたと言って、労災ですか?

このようにして、共産主義的な企業の内部は
健全なる資本主義の精神を持つ者にとっては地獄となる。

私のキャリア()

私は借金取りの勤め人であった。

私も上記と全く同じ状況を経験して、今も勤め人をやっている。
債権回収1部というチームに私が加入する。
チームは5人だ。
チームのノルマは粗利2億円。
案件数は100件。

1人当たり20件、粗利4,000万円がノルマだ。

私は3か月で10件終わらせた。粗利は4,000万円を稼いだ。
まだ9か月あるので、残りの10件をじっくり料理して、来期のノルマ達成の為にキープしようとする。

しかしである。

チームのダメ社員が、10か月経過しても、
5件しか終わらせていない。粗利もたった1,000万円しか上がってない。

こうなると資本主義のルールが発動する。

ダメ社員の未達予算分3,000万円。
これを誰かが穴埋めしなければならないのである。

部長は私を指名して、あと3,000万やってくれ。
案件も10件、SAT君に担当替えするから。
こうなるのだ。

私はしぶしぶ来期のノルマの達成材料にしようと思っていた案件を
早期回収して予算を達成する。

私は、部内のヒーローだ。
賞賛を受ける。
社内でも目立つ。

ダメ社員は肩身が狭い。

しかし、ここでは共産主義(社会主義)のルールが発動する。
ダメ社員はクビにはならんのである。
私より年長だから、
私より高い給与を得て、働き続けるのである。

私に与えられるのは「A評価」と、上司に酒をおごられる。
これだけだ。
A評価で加算されたボーナスは10万円。

は?

である。
20代の時はそれでも頑張った。
400万円の給与で年間8,000万の粗利を稼いだものだ。
灰原君(@ナニワ金融道)のようなものだ。

31歳まではその調子で転職先でもやっていたのだが、
私も真正バカではない。
気づいたよ。
いい加減。

勤め人はやればやるほど、仕事が増える。
出世もする。
しかし、給与は変わらない。
確かに40、50代になって役員様に進むことができたら、
高給で楽ができるかもしれんよ。

しかしだな、
私はそこから降りた。
役員様になっても、もっと上には株主様がいる。

私は
「勤め人としては平均点を取って、体力を温存して大家と副業をやる」
この道を選んだ。
勤め人800万大家500万程度(32歳)の収入があったので、
勤め先の部長(50代)より、豊かだったと思ふ。

最近、また昔に戻ってきた気がする

最近、また若いころのような状態になってきた。
仕事をスイスイ片づけていたら、
次の仕事を担当させられる。
それもスイスイ片づけていると、
また次の担当が与えられる。

出来ない社員は1つの案件を3年も4年も、
大量の時間を掛けながら苦労して処理している。

あれ?
これはデジャビュではないか?

40歳を過ぎて「永遠のヒラ」としてお気楽にやっているのに、
勝手に引き上げられていく(勤め人としては成功)感覚があるのだ。

これは勤め人としては出世だろうが、
おもちゃの勲章と飴玉が与えられていることに気づいたのだ。

結構手を抜いてやっているにも関わらず、
結果の出し方が洗練されすぎてしまい、
手を抜いてもまだ平均的な勤め人よりもパフォーマンスが良いらしい。

同じ仕事を20年もやっているから、
同世代のエリート転職組より成果を出せて当然なのだが…。
さらに同世代(40代以上)が老朽化してきている。

私は低ストレスで走ってきたので、
健康だし、気力もある。
私が成長したのではない。
周囲が衰えているのだ。

とはいえ、だ。

これ以上ゆったり働いてもほかにすることがねえ。
私と嫁の不動産収入だけでも生活できる。

この程度の勤め人仕事ぶりで、
頼られるなら、
まあやってやらんでもない。

苦しゅうない。

今の給与を維持してくれるなら、
「魚心あれば水心」
やってしんぜよう。

つづく