目標となる人物についていく作戦

勤め人卒業関連

私の目標となる人物の変遷

人生を歩む上で、
目標となる先人を決め、その人についていくことは有益である。

実際、私が若かりし頃は、
指導担当として、「有能な社員」がついた。

企業としては、
若手に「こんな風に成長してほしい」
ということで、先輩社員を指導担当として任命する。

自慢するわけではないが、
私にも有能な社員が指導担当に就いた。

1社目で指導担当となった人は今その企業の役員になっている。
2社目はブラック企業だったので使い捨てにされた。
3社目で指導担当になった人は、勤め先が倒産したのだが、同業の別会社で中核プレイヤーになっている。

4社目ではすでに31歳になっていたから、
指導担当はいなかった。
独立プレーヤーとしてバリバリやることを期待されていたので仕方ない。

まあ、20代までだろうか、指導担当が付くのは。

勤め先の指導担当など、目標として人生を生きるには値しない。
勤め人として生涯を終えるつもりか?
残念ながら勤め人として人生を終えるには人生は長すぎる。

そうではない。
人生の目標ってヤツだ。

私の人生の目標となる人物は
① 25歳まで、久保利英明弁護士
② 27歳まで、目標を見失う
③ 32歳まで、不動産投資家芦沢晃先生、赤井誠先生
④ 38歳まで、目標を再び見失う
⑤ 38歳以降、聖丁

このように推移している。
当然だが、勤め人+アルファをやっていながらも、
勤め人当時の指導担当の人は超えてしまった。
偉そうですまんが、勤め人単体の勝負でも超えている。
バイ、ナラ。である。

25歳までは弁護士を目指していたので、弁護士。
この道は捨てさせられた。
27歳までは勤め人としての目標を見失った。
その後、都心中古ワンルームと勤め人の芦沢晃先生が師となった。
赤井誠先生にも憧憬の念をもっていた。
いずれも一回り以上上の世代なので、
自分も50代までは勤め人をするものだと思っていた。

しかし、おそらく芦沢先生、赤井先生よりも
勤め人としての稼ぎが上回ってきて、
勤め人大家という生き方が完成して来て、
物足りなさを感じていた。
専業大家で規模を拡大していくことに対しては
やりたいとは思いつつも、
イマイチな不足感を感じていた。

さらに都心中古ワンルームの価格が高騰し、
レバレッジで拡大するのも、
借金取りをやってきたせいか、魅力を感じられなくなっていた。

その後、私より若くして、
より合理的に資本主義ゲームを効率的に進める
下の世代が台頭してくる。

こうなってくると、上の世代には目標となる人がいなくなってしまい、
下の世代に目標が移ってくる。
そこで聖丁(@Fist_of_Phoenix)が人生の目標になった。
人生の師である。

追い越していった相手について走る作戦

高校時代には長距離走を部活でやっていた。

追い越した相手に頑張ってついていく作戦は有効である。
先行して走るのは気持ちいいが、
ついて走っていくのは楽である。
風よけになってくれるし、
相手のフォームの乱れも後ろからよく見える。

前を走る存在というのは非常にありがたいものだ。

書籍を読むのも良い。
歴史を学ぶのも似たようなところがある。

武田信玄の人生から、
私は、上杉謙信とは絶対に戦うべきではない。
という教訓を得た。
おそらく信玄公も人生がもう1回あったならば、
上杉謙信とは戦わなかったと思う。

あの時、越後を目指さずに、
美濃から京都へ今川義元と手を携えて進んだと思う。

子弟教育もそうだ。
信玄公はその点をおろそかにしていたと思う。
毛利元就と比較すると少々教育に関する逸話が少ない。

話がそれた。

32歳ごろまでは、
勤め人を定年まで続けながら、
大家業を拡大して、
老後は悠々自適。
という価値観を信じてきた。

今となっては、
芦沢先生、赤井先生、吉川英一先生も勤め人を卒業。
私も同じルートで行こうと思っていたのである。

しかし、
ふんどし王子、ポールさん、聖丁という、
新世代の勤め人早期卒業組が台頭するにつけ、
私も影響を受けるようになっていった。

特に聖丁の情報発信は、高学歴エリート層にはよく刺さる。
発信の前提知識が、
マルクス経済学、日本史、文学などにもその源泉を辿ることができるので、
それはウケるのだろう。

私も御多分に漏れず、影響されてしまった方である。
聖丁の素晴らしいところは、
自ら実践するところである。
いわゆる「エアプ」ではない。
ラーメン屋も開業しているし、戸建てもDIYしている。
実践型なのである。

この実践型である点が非常によい。
何が良いかというと、
聖丁がやってきたことを後からノコノコ出て行って、
真似をすることができるのが良い。

優秀な学生(笑)であった私としては、
お手本がいる方が走りやすい。
芦沢先生、赤井先生などのルートよりも、
早いルートを見せてくれた聖丁を真似るのはいい作戦だと思う。
仮にうまくいかなかったとしても、
芦沢先生、赤井先生ルートで勤め人を定年まで引っ張っても良いのである。

実に楽である。

ちなみに
インフルエンサールートはあまり適性がなさそうなので、
起業家ルートは非常に参考になる。
特に社員の採用ってヤツである。
これは私もやるかやらまいか、ずっと迷っているテーマであり、
聖丁ラジオにも思わず意見を書いてしまった程だ。

予想通り、社員ってものは聖丁が採用したにもかかわらず、
後ろ足で砂をかけて去る者もいたらしいし、
多くの退職者も出るそうな。
さもありなん。
と、思うところもあり、自分だったら冷静でいられるだろうか?
と、不安になる。

しかし、実業の世界に入っていくのは遅かれ早かれ訪れることだし、
せっかくの人生、社員ってヤツを使ってみる経験もしてみたい。
息子らを将来社員に迎え、経営を引き継ぐにしても、
何を、どう伝えるか?
考えておかねばならん。

聖丁が、やらんでもいいラーメン屋になって、
苦労しながら、歯を食いしばって営業黒字にするところなどは、
大いに参考になる。
私はたぶんラーメン屋はやらないが、
不動産管理、リフォーム、貸金業はやるかもしれない。
宅建業かもしれない。

その時に起こる事件を予言的に聞かせてもらえるのは大いに良い。
ショートカットできるだろう。
今のうちに深層心理に刻んでおきたい。

さらに

実は私の仕事は政府や銀行から資金を集めて、
ファンドを組成し、中小企業に投資するのが勤め人としてのそれである。

投資先の中小企業がまさに、
私が将来進む道である。

投資先は赤字企業なわけだが、
赤字事業を経営する人のマインド(の悪さ)はよく見ているが、
優良な中小企業のオヤジはあまり接する機会がない。
聖丁のような有能な中小企業の親父の思考と振る舞いを見て、
大いに勤め人仕事にも参考になる。

ダメ企業は、社長が現場に入っていかない。
だから、改善しないのだ。
聖丁は4代目店長となり、改善した。

私が勤め人でやっている投資先企業は
それどころではないダメ経営者なのだが、
「現場に行けコノバカ息子!」
と、言うことにしている。

また、明らかにダメなビジネスを改善させようとする無駄もやめるようにした。
リーマン後の円高で、
中国に生産拠点を移管して、日本で売る。
こんなビジネスモデルの場合には、
さっさと廃業させる。
また、この手の商売の企業に投資するときは、
価格を思いっきり叩くなど、
企業家としてのふるまい、
商売の良し悪しを見極めるにも、いいラジオである。

自分の将来の起業、今の勤め人。
いずれにしても役立つ。

ありがたいものだ。

今後も賢明なる消費者として聖丁にはお世話になりたい。
そして芦沢先生、赤井先生を卒業するように、
聖丁からも卒業したいものである。

以上