リスクを取るという考え方

買い方の話

私のような築年数を経過した区分や再建築不可の戸建を買っている
投資家に対して、プロっぽい人が考えていることはわかります。
『出口もないのに危険な投資だ』と。

確かに「危険」という言葉が適切かどうかは別にして、
非常にリスクが高い投資手法であることは自覚しています。
さて、そもそもリスクとは何でしょうか?
皆さんも自分でリスクという言葉の定義を持っておきましょう。

リスクとは!=「損益が確定しない状態」
を指します。

将来損をするか儲かるかわからない状態。
これがリスクです。
100%損をすることが分かっていれば買わないだけですし
100%益が出る話であれば買います。
1億円儲かることが100%であれば、多数の買い手が殺到して、
最終的に売値は9999万9999円に近いところに収斂(しゅうれん)していくでしょう。

そうです、築年数が経過してボロボロになったマンションの将来は
分からないのです。
分からないからリスクある。と言っているにすぎません。
そしてリスクは予見、予想、分析することができるのです。
その予想力が優れていれば回避することも可能です。

そしてリスクがあるなしという事実は実は非常に相対的、
見る人によって100者100様なのです。

私は国債をどう見ているかというと、30年国債利回り1%。
こんなものこそリスクの塊、損をする可能性が高いと思っています。
今後30年インフレ率が1%以下で推移する可能性にBETする恐ろしい投資です。

自分が70歳になるまで、何もできません。
金利が下がれば国債の値段は上がりますが、
金利はゼロになることはありませんので、期待利益の幅はたった1%です。
これはリスク高い!それも損する可能性が高いリスクです。

さて、私はボロ区分、再建築不可の戸建でどんなリスクをテイクしているのでしょうか?
築40年になろうとしてる3号物件(中落合マンション)はどうでしょうか?
将来ボロボロになった時にどうなるか?
私はいつも考えています。
都営大江戸線の落合南長崎駅から徒歩2分の立地なので、
当然建替(たてかえ)が来ると思っています。
一括で分譲会社とかに買い取られるという出口を想定しています。
果たして期待する価格で買い取ってくれるかどうか分かりませんが、
希望する値段で買い取ってくれるまでは交渉を頑張ろうと思っています。

その時にはきっと(土地の値段 - 解体費用)÷ 土地の持ち分
という値段が価格の下限になるはずです。
さあ、だんだん見えてきましたね!
そうです、ここ(=価格の下限の根拠)が予見できていればリスクは限定的だ。
ということが分かります。
損益が未確定だったもののリスクを見積もっているのです。

だから私はこの物件を600万円で買いました。
大体利回り10%で運用していけば、10年で投資金額は回収終わります。
出口で400万円回収すればまあトータル6~7%で運用したことにはなるのではないでしょうか。

出口戦略は特にありませんけど、最悪こうなるだろうなという予想はあります。
そして11号物件(松戸の連棟テラス)全焼事件で、私の予想が正しいことが証明されました。
この物件の売却価格は土地値 - 解体費用で土地が売れたのです。
この物件の土地の値段は㎡10万円(路線価)でした。
上物が全焼して得られた保険金は想定外でしたが、市場性のある土地は結局、
誰かがお金を持ってきます。
その意味では、最後の最後は土地価格が最下限になることが証明されたケースでした。

再建築不可も同じことです。
周辺の建物が全部撤去されてしまえば、あとは更地になります。
その更地の使用価値こそが、物件の値段なのです。
いずれは建物は朽ち果てます。
その時きっと道路に面している土地を持っている人は
私の再建築不可の土地を買いに来るでしょう。
もしくは買ってくれと、売りにくるかもしれません。

その時、「満を持して」売るなり買うなりすればいいですし、
その時に私の足元を見て、買い叩こうとするならば売りません。
逆に建物を新築そっくりさんにして、
永遠に賃貸に出し続けて、次の世代で勝負します(笑)。

そしてそもそも12%で運用できているわけですから、
出口なんかなくてもいい、延々回します。
そんな覚悟でこっちはやっているのです。

短期的な手数料商売、利益商売をしている不動産会社と
私のようなロング投資家では全く目線の長さが違います。

なんといってもこっちは給料だけで生活できるんですからね!
手数料が入らないと死んでしまう零細ブローカー。
高金利、期限一括弁済で借金をして買う投資家とはわけが違います。

長くなりましたが、
出口のリスクは損をする可能性もありますが、
益が出る可能性もある状態です。
損が出る可能性を限界まで抑える(=安く買う)ことで、
リスクは取っていいもの、むしろ取るべきものになるのです。