軌道に乗るまでは苦労する。

勤め人 + 不動産投資 のスタイルが軌道に乗るまでには
多少苦労します。

私の場合には不動産投資に開眼したのは
28歳と、今の世代の人々からすれば多少遅い年齢だったかもしれませんね。
建美家という収益物件サイトができてすぐの時期で、
建美家という収益物件サイトを真似して、「楽待」が出てくる少し前だった気がします。

私は不動産が欲しい病といえるほどの状態でした。
当時は勤続年数が3年はないと銀行から借金ができないという
通説がありましたが、
私はまだ勤続1年。

待ちきれずに、正社員で勤続年数3年以上の結婚相手を探してしまうほど、
不動産が欲しかったのです。
そして本当に結婚してしまい、
勤続年数が3年なくても借りられる「住宅ローン」を使って
今の1号物件を買ってしまうというほどの重症の不動産病です。
さらに2号物件を想定通り、妻の与信を使って買ってしまいました。

まさに病気です。
ここまでやってしまったのです。

しかし、ここから3号物件で苦労します。
当時の年収は350万円しかなくて、手取りは25,6万です。
2号物件からは手取りで月3万円ほどしか産まれません。

いつになったら3号物件が買えるのか!
と、焦りました。
師とあおぐ芦沢さんは次々買っていく様子がその著書に書かれていますが、
芦沢さんは貯金をしっかり持っていて、金融資産もお持ちだったようです。
私のような貯金ゼロのヤツとは前提が違いました。

さらに妻は妊娠し、収入がなくなる始末。
金持ちになるはずが貧困家族まっしぐらでした。

そこで私のソリューションは

「ダブルワーク」

でした。
今でこそ三井住友トラストL&Fさんに借入をさせてもらっていますが、
当時は普通に断られていました。
ローンは使えないし、カネもないので、
働くことで解決したわけです。

知人と会社を作って月10万円ほど貰えるまでに
会社を大きくしました。
おかげで月5万(家賃からの収益込)しかできなかった貯金が、15万ほどできるようになったのです。
年間180万です。
これを2008年、2009年と積み重ねたおかげで、やっと、本当にやっとです。
3号物件の区分を現金で晴れて買うことができました。
これが2010年のことだったと思います。

その後は、大学の先輩から金を借りて2011年に物件を買い、
2012年にも買い、2013年、2014年と、カードローンというテクニックも加えて、
加速をしながら物件を買い進めることができようになったのです。

ここで最も重要なのは
ダブルワークをしたことです。
この厳しい選択をしたことで、今の自分はあると思います。

今回の題名である軌道に乗るまでは大変だというのはここです。
不動産投資を志す人はどこかで本気でやらないといけないタイミングがあります。
それはきっと勤め人でも同じことなのだと思います。

結果的に勤務先が倒産して、転職活動をしたら、
給料が倍貰える会社に転職できましたし、
さらにもう1回転職することで給与はさらに倍増しましたが、
これは結果に過ぎません。

私の原点は、年収350万で苦しみ、ダブルワークで120万円の
プラスの収益を作ったことにあります。
これによって3号物件を手に入れ、
安定した稼ぎを返済原資にした知人からの借入、
転職により増えた年収を利用したカードローンでの借入、
そして今の三井住友トラストL&Fにつながっています。

よく年収が高いので銀行から借入をして大きな物件をやればいいという
アドバイスを頂くことがあるのですが、
私はそもそもが低い属性から這い上がってきたので、
そもそもが一流企業でやってきたタイプとは180度反対の人種なのです。

その過程でカードローンを使ったり、
個人の確定申告で赤字をガッツリ計上したりしているので、
残念ながら普通の銀行融資は受けられません。

源泉徴収票1枚で、年収1千万OVERというピカピカな
エリートサラリーマンではないのです。

年収こそエリートサラリーマンに負けないほど稼いでいますが、
たどってきた道のりは苦しいものでした。

勤務先の薄給や、倒産を乗り越えたり、
ダブルワークを駆使したり、妻の稼ぎを利用したり、
そこそこ大変でした。

まとめると!

サラリーマン ∔ 不動産投資

で起動に乗るまでには
ある程度の苦労を覚悟しないといかん。

という話です。
特に稼ぎが少ない状態、若い人が這いあがるには不動産投資は
あまり楽な道のりじゃないと思います。