親の責任を子が取ると言う法はない。

落とし穴

全く恐ろしい時代があったものだ。

日本でも昔はよくあった話だが、
親が借金をすると、借金取りがやって来て、
親の借金を子供から取立てようとすることがあった。

借金は借りた本人だけではなく、
親族全体で返済しなければならぬという時代があった。

敵の子供まで殺すのは当然だったし、
親を殺された子供は敵(カタキ)を討つのが当然だった。
恐ろしい時代である。

最近みた事例

最近関与した企業の話であるが、
創業者(オーナー)の息子が実質的に支配している会社で、
経営は創業者の弟の息子が担っているという体制だ。

要するに
創業オーナーが自分の弟に経営を任せた。
今は創業オーナーの弟の息子が経営を担っている。
創業オーナーは高齢なので、その息子が実質的オーナーである。
創業オーナーは会社に対して数億円の貸付金を有している。

今、経営が傾いてきて、
金融機関からの借入を返済することに困っているという状態。
ここに私が参上した。

私が経営会議に参加したら、
創業オーナーの息子が、
創業オーナーの弟の息子に対して、
「お前、ふざけるな、借金を返せ!」
と、怒鳴りつけていた。

これは、どうしても違和感がぬぐえない。
確かに創業オーナーの弟の経営がイマイチで、
創業オーナ―個人から会社として借入をしたのであろう。
しかし、子供の世代までその関係性を引きずるのはおかしいと思う。
現在のオーナーと、経営者は「いとこ」である。

親父の兄貴の息子が、今社長の私にカネを返せと迫っているわけだ。
「役員報酬を減らしてでも返せ」
とまで言う。

私は「いやいや、それより金融機関への返済が優先だろ」と、思うが。
親の世代の関係性を子供がそのまま引き継いでいるのである。
おいおいおいおい、今は2022年だぞ‥‥。
これが正直な感想である。

一通り無駄な長時間の会議を終えて、
私は創業オーナーの弟の息子を飲みに誘った。

「さっさと辞めて転職しましょう」

と。伝えた。

親と子供は全くの別人格である。

私は上記のような事例が大嫌いである。

親が作った借金を子供が背負う。
とんでもない話だ。

逆も然り。
子供が殺人を犯したとしても親は関係ない。
未成年者であれば親は民事上の損害賠償責任を負うが、
刑事上は罪に問われることはない。

民事上の損害賠償と言っても、
これは被害の救済のために、経済力のない子供に代わって、
親の責任と言える範囲で責任は負わせる。
という趣旨であり、懲罰的な意味はない。

親が子を思う気持ちにつけこむのは非常に悪質であるが、
それでもなお、
親が子を助けないという選択をしても批判されるべきではない。

私はそう思う。

翻って日本の戦争責任というヤツ。

私はこれにも違和感がある。
韓国の徴用工問題という話があって、
三菱重工が韓国に有する資産を差し押さえられたという一件があった。
これは不老不死の存在である法人だからあり得る話なのかもしれない。

こう言っては誤解もあるかもしれないが、
私は親が100人を殺傷した殺し屋だとしても、
私が責任を問われる筋合いではないし、
私には1㍉も責任はない。

ましてや、祖父のしたこと、その先祖がしたことに関しては責任はない。
当事者ではないからだ。

過去の行為に対して現代のわれわれが責任云々言われることはないと思う。

確かに大東亜戦争中に、国際法に違反して、民間人を虐殺し、
原子爆弾まで投下した、アメリカという国家はおぞましい国家だったと思う。
が、現代のアメリカ人には何の恨みもない。

そもそも私は爆撃されてもいないし、
殺されてもいない。
現代のアメリカ人だって、当時は生まれてもいない。
過去の行為の責任を現代人が負うなんてバカな話はねぇ。
そう思う。

そんな当たり前なことをこの令和の時代に気づかない人がいたのが驚きである。
が、私は恵まれた人間なので、そう思うだけなのかもしれない。
案外こんな人は多いのかもしれないと思って今日は書いた。

そういう意味では、
天皇陛下の長男として生れることも因果なものだと思う。
生まれながらにしてその人生を決められてしまっているわけだから。
まあ、他人の家のことにとやかく言うのは主義じゃないので、
この辺にする。

親だろうが、子だろうが、他人の責任まで取らされるのはゴメンだ!
と言う話。

をはり