このブログ、終了するかもしれない。
お名前.comのドメイン料金を振り込んだのだが、
手違いか知らんけど、何度も払え払えとメール連絡してくる。
電話しようにも電話番号はないし、
向こうから電話が来るわけでもない。
まあこのまま終了してしまうかもしれん。
とはいえ、データはXserverにあるので、
ドメインが消えるだけだ。
4月18日に使用不能にすると言われているので
終了させられるかもしれない。
その時は他のドメイン屋(?)でまた新しいアドレスを取得して再開する。
X
で続報を待たれたし。
何というか、年間料金1,707円なので、
こんな金額で人件費も割けないから、
もう全部システムで対応せざるを得ないのは分かるのだが、
こういうトラブルがあったときはどうしても
人間が対応しなければならない。
これもキツイ商売ではある。
GMOインターネットという会社がどういう会社は知らんが、
中の人も多分死ぬほど忙しいはずだ。
私がこのブログで稼いでいるわけでもないから
大した問題ではないが、稼いでいる人のブログでこれをやったら
損害賠償でえげつないことになりはしないか?
危ない、絶対に株は変えない企業体だ。
さて、加藤ひろゆき先生のVoicy
パンキーさんの遠行の話題は度々話に出ているが、
私の心に響いてくる。
株屋大家わさびさんの銀行時代の話で、
20億円の金塊を持っていた老人の話も響く。
この手の話が心に響くと言うことは、
私はそろそろ勤め人を卒業するタイミングなのだなと思う。
世帯年収が5,000万を超えたのだが、
これは3,000万でも十分な気がする。
妻としては自分の法人からのキャッシュが税引後で
年間800万ずつ積みあがっていく上に
私から年間400万円の生活費(家賃水光熱費教育費なし)が
支給され、さらに勤め人の妻ということで、
3号被保険者で年金負担もゼロ、所得税もゼロ。
これは現代の貴族である。
当然、私が、仕事がキツイから引退する。
ついては生活費負担の見直しをしたい。
と、申し入れしたところで、
「今のまま続けるべきだ」
と、言うに決まっている。
CHINA人が日本永住権を手に入れて、
生活保護で暮らし、医療費もタダ。
こんな生活をしていたら、
「制度を変えるべきではない」
と、言うに決まっている。
帰化人が政治家になれるのだから、
国会議員も送り込んで制度の維持を図る。
まあ、同じだ。
私は多分日本人の男子であるから、
歯を食いしばって働くしかない。
不動産がなかったら、そうしていた。
頑張って頑張って、心身の限界を迎え死ぬ。
日本男子というのは美しい。
まあ、おそらく私は先祖のどこかで大陸かスラブ系の遺伝子が入っているかもしれん。
既存のシステムに抵抗を試みる性格があると思う。
仕事は頑張るが、その反動で怠惰でもあり、
反体制的で一匹狼なところがある。
話がそれたが、
そんなわけで、加藤先生のVoicyで、金だけ貯めて死んだ人の話を聞くと、
心に迫るものがある。
実は兄も東京で労働して心筋梗塞と糖尿病で玉砕。
今年の春に岩手の実家に帰った。
妻と子5人を抱えての帰国である。
戦後の引き揚げ軍人のようなものだ。
それも傷痍軍人である。
まだ44歳の時だった。
私は今年46歳であり、健康状態も徐々に悪化してきた。
被弾する前に退役した方が良いのだ。
兄も私も田舎から出てきて
— SAT(サット) (@KunimasaS) April 13, 2025
無資産の勤め人から出発したが
兄は激務で疲弊して糖尿と心筋梗塞で玉砕
岩手の実家に戻った
まさに敗戦後の引き揚げ兵である
実家に戻って
「生き恥を晒しに参りました」
と、言ったかは知らない
兄が玉砕したのが40代中盤
私は偶然被弾していないだけで…
ある意味、私は今、盤石な体制にある。
不動産◎、勤め人◎、家族◎、健康〇である。
万全な体制にあるのだ。
ここだ。
ここなのだ。
人生の絶頂の時こそ、転落がある。
ここで「負け」を作らなければならない。
徳川家康公の人生はまさにそうだ。
【家康公の栄光と転落➀】
今川の親戚にまで成り上がって、京都に攻め上る過程で
信長に義元が討たれる。
義元の息子の氏真にかたき討ちを!
と言っても聞きいれられず、
やむなく信長と同盟。
一向一揆に苦しめられる。
【家康公の栄光と転落②】
今川と絶縁し、戦国最強の武田信玄と同盟。
西は織田、北は武田と、安全を確保して、
東の今川だけと戦うという定石を打ち、
遠江を領有。2か国の太守となる栄光を得た。
しかし、その後、織田家と武田家の関係が悪化。
1572年の三方ヶ原ではほぼ死んだと言ってもいい敗戦を味わう。
信玄の死後も息子の勝頼に10年も侵略され続けるという
転落を味わっている。
【家康公の栄光と転落③】
長篠の戦いから7年後、甲州征伐でついに武田を討つ。
その際駿河を領有し、旧主である今川を超える領土を持つに至った。
海道一の弓取りという栄光を得た。
その後、本能寺の変→天正壬午の乱というトラブルも味わうが、
一貫して栄光であろう。
武田の旧領を奪い、武田と今川の両方合わせた領土を有する大大名となった。
しかし、小牧・長久手の戦いでも局地戦で勝利するも、
豊臣秀吉という大政治家の前に膝を屈することになる。
1584年に講和してから、関東へ追い払われる。
反逆する機会はいくらでもあった。
織田信雄の単独講和に反抗する手もあったし、
大坂へ訪問を拒否する手段もあった。
関東転封に反抗することもできたのだ。
実際、家臣はそれを強く求めただろう。
石川数正の出奔もそれに関係しているに違いない。
15年にも及ぶ、忍従。転落後にそこを這いずること15年である。
【家康公の栄光と転落④】
唯々諾々と秀吉に従う姿勢を示したことで、
豊臣政権の最重要ポストに就任することができた。
まさに栄光である。
豊臣政権の筆頭家老、No2まで登り詰めた。
しかし、豊臣政権は揺らぎ続ける。
朝鮮出兵による文治派と、武断派の対立だ。
これは家康公が仕掛けたという説はあるが、
私はその説は違うと思う。
家康公も豊臣政権を支えようとしていたのだと思うのだ。
しかし、対立が決定的となり、
武断派から神輿として担がれたのが家康公だった。
と、いうのが真相だと思う。
本当はやりたくないけど、社長に祭り上げられたようなものだ。
しかし、自分が政権を樹立しないと、
また日本は戦乱の世の中になる。
止むを得ず、家康公は天下人になることを決めたのだと思うのである。
まさに天下泰平からの、ある意味、反豊臣。
謀反人への転落だ。
そして、望んでもいなかった関ケ原の合戦に至る。
それは60歳にもなって、人生のまとめに取り掛かろうとしていた家康公にとっては、
転落ともいえる、「厄介毎に巻き込まれて、神輿に据えられた」
というヤツではないか?
そもそも60歳になるまで天下の野心を隠していたとしたら、
もっと前の段階で裏切り行為をやっているはずだ。
信長包囲網が形成された際に離反していたと思う。
家康公は本当に野心家ではなく、忍従の人だったのだ。
たまたまずっと忍従していたら勝手に世の中が自分を天下人に祭り上げてきた。
そんな人に違いない。
例えるなら京セラの故稲森会長である。
もう引退しようと思っていたら、JALの社長に担がれたようなものだと思う。
これ以降の家康公は栄光の中で生きる。
2代目の秀忠に将軍職を譲って、
自分が育った駿河の国で隠居生活に入る。(ある意味栄光)
しかし、それすらも許されず、
大坂夏の陣、冬の陣の総大将に祭り上げられる。
ある意味、これは転落だ。
2代将軍秀忠の名前は「秀吉に忠誠を誓う」という意味の秀忠である。
2代目に謀反人の汚名は着せられんという訳で、
大御所様のご出陣である。泥をかぶりに老体を押して大阪で
真田幸村のごとき狂人の相手をしに行かねばならなかった。
平和な世界を嫌う人種は、確かに存在する。
その不満分子が大阪に集まって、秀頼を担いで戦乱の世界を復活させようとしたのであり、
これは豊臣VS徳川という形式を取ってはいるが、
平和を望む人々と、戦乱の世界を望む人々の戦いである。
その後、全てを成し終えて、駿府で他界された。
まさに死の直前まで休まる時がない。
そんな人生だったと思う。
そして、「もう休もう」「栄光だ」と思ったときに、
転落的なイベントが発生してしまう。
私もまさにそれだ。
勤め人、大家、家族という「カネと女」に象徴される
男の幸せを手に入れて、その余韻に浸ってきた
この2年。
勤め人にまずヒビが入って、
社内のソフトパワハラが始まる。今も絶賛継続中だ。
大家業は盤石だが、
長男の不登校など、小さなほころびも見えている。
しかし、足りない。
辻褄があわねぇってヤツだ。
もっとカタストロフィックな厄災があるに違いない。
不動産の半分を失うようなヤツである。
それを避けるために。
ここで、あえて負けを作るのだ。
その負けをどうやって作るか?であるが、
勤め人を卒業して負けを作ると言うのは、
私にとっては悪手だと思う。
なぜならカネを一部捨てて、自由・幸福を得る行為だからだ。
過剰な成功は、大きな厄災を連れてくると思っている。
勤め人として、クビに追い込まれる迄嫌がらせを受けると言う「負け」。
これをあえて作り尽くすことが望ましい。
その嫌がらせの最中にあって、
健康維持を図る、嫌がらせを受けながら定時に退社して有休を消化する。
そんな動きをすべきだと思っている。
今のような、「いい子ちゃん」では、勤め人卒業後、苦労するのは目に見えている。
もっと、めんどくさいヤツになる必要がある。
と、言うか、私は学生時代まではめんどくさいヤツだった。
ある意味、昔の自分に戻る準備をしなければいかんと思う。
良く分からない話かもしれなないが、そんなことを思った。
をはり