子孫繁栄という生物的使命をどう捉えるか?

相続・教育・次世代

私の子供は3人、男男男

私には3人の息子がいる。
私自身3人兄弟の2番目であり、
父親の代から続けて男しか生まれていない。
世の中には女しか生まれない夫婦もいると聞く。

結果的に男女比は全体として1:1になるのだから不思議ではある。
ヒトと言う種全体で産まれる数が何らかの力で制御されているということだろうか。

基本的に経済的に豊かになろう。
勤め人+大家というライフスタイルを説く私のブログとしては、
結婚や、子供を持つことは、持ち家や自家用車(個人名義)と同様、
経済的に豊かになるためにはマイナス要素である。

本能を制御し、知性と理性を信じるヒトとしては、
現在の人口爆発を踏まえて、子供は作らない。
という、神の視座からの選択をなすべきなのかもしれない。

地球が人類の重さによって崩壊することを防ぐと言うのは、
人間だけしか発想しえない崇高な理想である。

かかる観点から言えば私のように3人も子供を増やす行為は、
「悪」であろう。
ましてや、私の兄には5人の子供、私の弟には2人の子供がいる。
親父の世代では二人だったのに、
2世代を経て、10人に増加したのである。
私の家族の遺伝子は地球にとって有害なのかもしれない。

さて。

子供はカネがかかるし、回収の見込みもない。浪費である。

子供にカネと手間がかかることは私が今さら説明する必要もない。
自明のことだ。

日本と言う国家からの支援もさほど期待できない。
人口が減少していくのは当然。

子供はカネがかかる。手間もかかる。
オマケにつぎこんだ金額は自分には一切戻ってこない。
それでもなお、子供を産み、育てようとするのは、
まさに、人間の本能かもしれない。

とはいえ、あの世に資産は持っていけないので‥‥

とはいえ、世界の人口を引き合いに出したり、
経済的デメリットを持ち出して、
子供を持つことを否定できるのは、
私がまだ、生殖能力があるから。
なのかもしれない。

仮に私が妻も子供もなく、
70歳になって、資産が100億円に到達。
そして癌になって余命3年。
とでも言われたら、こう思うかも知れない。

「ああ、資産なんて100億円あっても仕方ない…子供を作っておけばよかったな。」と。

そうは思わず、
さっさと適当な養子でも貰って、事業をあっさり引き渡すかもしれない。
未来の自分の心境を今から決定することはできないものだ。

何とも言えん。

私が3人も子供を持った理由。

もちろん家族計画なので、夫婦の話し合いの末である。
結局お互いの意見が一致して3人となったわけだ。

それぞれ3人子供を持とう!
と決めた本当の理由は分からない。
本当のところは分からない。
夫婦と言えども。

私の場合には、
親が3人の子供を育てたので、
私も3人育てるのが順当だと思った。

さらに妻が3人欲しいと言うので、従った。

少子化の日本で2人と言うのは足りない。
3人ならば日本のためにもなる。

などなど。
無論教育コストの問題もあったが、
3人中学受験させるとは当時思ってはいなかった。

明確に1つの理由はなく、色々考える中で3人と決めたわけだ。
案外そんなものだと思う。
無計画に子供を作ると、産めるだけ産むことになるが、
生物としては正しい。
生物的には間違っているが、制御した結果3人になった。

経済的にはマイナスな子供であるが、決めるのは個人である。

貸家を2件程度買うまでは、
実家に寄生し、
結婚、子供を先送りする。

これが私の提唱する基本戦略である。
しかし、しかしである。

既に妻子が居たり、
既に30代後半になっても1軒も貸家が持てないという状況で、
子供が欲しいという人は、
そこを曲げてまで、独身や子供なしに拘ることはないと思う。
人生でなすべきことは、カネの自由だけではない。

自分の子供を産んでくれる女性に巡り合っているのに、
カネを理由にそれをあえて捨てるというのも残念な話ではある。

それはソレ、これはコレとして、
妻子を持つことに踏み切ってもいいと思う。

勤め人大家という生き方は起業するよりは大分容易で、
再現性が高い方法だとは思うが、
それが肌に合わない人もいるだろうし、
それすら難しい人もいる。

そんな人は社会に流通する普通の幸福と言われるものに頼るしかないだろう。
私のブログは2度と見ず、
マジメな勤め人としてやっていくのも正しい選択だと思ふ。
私のブログを見て不幸になる人が現れるのは私も本意ではない。

をはり