私は戦国時代が好きだ。
理由は分からない。
恐らく戦国時代に私の魂に何かがあったのだろう。
そんな戦国の世にあっては、
大名とその家臣がいた。
豊臣秀吉もその半生は織田信長の家臣であったし、
柴田勝家は一時は織田信長に反旗を翻しつつも降(くだ)り、
信長が本能寺に倒れた後は独立勢力として秀吉に対抗した。
現代の世で言えば、
起業家と勤め人がいる。
私はずっと勤め人を続けてきたが、
最初の勤め先は1年で退職。
2社目の起業家の会社は半年。
3社目の起業家の会社は3年半いたが倒産した。
4社目は大企業の子会社に2年いた。
5社目の今の大名家には6年仕えている。
仕えつつも自前の領土(副業)を拡大しており、独立を意識したこともあったが、今では当面仕えるつもりでいる。
と、私もまだ勤め人をやりながらも起業家的な動きを見せている状態。
かと言って起業家の作った会社(大名家)を乗っ取るつもりはないし、その器でもない。
それをした戦国大名も多い(斉藤道三、宇喜多直家、松永弾正)。
戦国の世にあって、
尾張の弱小勢力だった織田信長は海道一の弓取りである今川義元に従う。
という選択肢もあった。
が、逆に攻めた。
攻めた結果、今川義元が自ら大軍を率いて出陣。
それを奇襲して殺したのである。
現代では戦争はご法度であるものの、
形を変えて戦争をしている。
そう「経済戦争」であり、カネの取り合いである。
より多くの金を取れると思われる分野へと進むべく、
皆殺到する。
医学部はどこも難関である。
大手企業に入社させて自分の子供(遺伝子)を少しでも有利な立場に進ませるべく親も必死でお受験をさせている。
銃やミサイルは使用しないものの、
知力や勇気、作戦、戦略、適性などを駆使して戦っているという意味では、現代も戦国の世も同じであろう。
女は人権と世論という武器を得て、
男に女主導の恋愛価値観を植え付けることで支配しようとしている。
戦国の世では力で勝る男に完全に抑えられていたが、時代を経て力を増した。
さて、話が取っ散らかってきたので、
本日言いたい事を言う。
つまり、私が言いたいことは、
全員が「大名=起業家」になれるわけではない。
ということを言いたい。
サウザー師匠のような帝王の星の下に生まれた魂。
加藤ひろゆき先生のような自由とエンタメの星の下に生まれた魂。
このようなスピリットは勤め人には向かないであろう。
戦国時代であればまさに大名として独立していたであろうスピリットだ。
さて、
翻って私が戦国の世にいたらどう振舞っていたであろうか?
多分生まれた場所にもよるとは思うが、
最も天下を取れそうな大名家に仕官しようとしただろう。
大名家であったらその時の最も強い勢力に従っただろう。
自分が浅井長政であったらどうだったか?
伝統ある同盟家である朝倉家との同盟を堅持して信長を討つか、
新時代を切り開く可能性ある織田家と結ぶか?
さて関ケ原前夜の上杉家であったら家康と組むか対立するか?
政宗だったら秀吉に膝を曲げるか?
などなど、さまざまな戦国大名、武将の生き方を見てみると、
多分私は大名に向いていない。
自分の器というモノを見るにつけ、
勤め人卒業は思いとどまるべきだと思う。
そもそも大名家も家臣がいないと始まらない。
起業家も社員がいないと商売にならない。
家臣にも優れた武将は居たのであり、
全員が大名になったら収集がつかないのである。
自分の器を見誤って起業して失敗した事例は枚挙に暇がない。
身の程を知ることは決して敗北ではないのである。
つまり、私は勤め人を継続する。
そしてセコく「俺の法人」をシコシコ拡大するのである。
つづく