働くということ
働くとは「傍(はた)」を「楽(らく)」にするという言葉から生じたと聞いた。
周囲の皆様のお役に立つ。
という意味だと思えば良い。
さすれば、
人様に役立つことが働くことなので、
自分がやりたい事!をすることとは、直接は結びつかない。
私がやりたいことは、
毎日読書、ゲーム、軽い運動である。
さて、自分が読書したり、ゲームしたり、軽い運動をして人様のお役に立てるだろうか?
聞くまでもない。
役に立たんのである。
おおよそ、凡人がやりたい事は、食欲、性欲、娯楽欲である。
これで人様の役に立つことはできない。
つまり自分のやりたいことを仕事にするなんてのは、
「働きたくない」と同義なのである。
そもそもブログを書いたり、Youtubeをして稼ぎたいのではなく、
より楽をして稼ぎたい。
というのが本音だろう。
そういう連中は、何もせずに1日1万円貰える。
という話があれば、すぐに食らいつくであろう。
ナンセンス!
働くということは人の役に立たなければならぬのである。
嫌々働くのである
働くのは非常に苦労が多いことである。
人様のお役に立つためには、
自分を犠牲にしなければ成り立たない。
自分の何かを差し出して、お役に立つ。
そうしてやっと対価が得られるのだ。
そうしなければ住む場所も、食事も手に入らないから働く。
何兆という人間が産まれては死んでいったはずだか、
この因果から逃れた人間はほぼいない。
イヤだけど働かないと仕方ないから、
人様を楽にして対価を得る。
この前提から始めるしかない。
自分が得意なこと(苦痛を感じないこと)をする。
何をして働くか?
という点では、
自分が感じるストレスを基準に考えるのがベストである。
私は昔、外資系金融で働き、投資銀行業務をこなすエリートに憧れた。
年収は数千万円、ただし激務。
これにストレスを感じる人もいれば、
年収という要素によってストレスが軽減されるタイプ、
されないタイプ。
私は残念ながらいくら高い年収が得られても、
激務には耐えられない。
ストレスで逃げるタイプだ。
水商売という仕事にストレスを感じない人は、
それが向いている。
実は私は接客はそれほど嫌いではないものの、
店に来てもらっておカネを使ってもらうと言うのは全く苦痛だ。
ウェイターはやってもいいが、ホストはできない。
机に座ってグラフを作るのが苦痛(ストレス)な人もいるし、
重機を操って巨大なビルを建設すると楽しい(低ストレス)人もいる。
大事なのは自分が何に対してストレスを感じないのか?
という観点である。
私は借金を回収するのが好きだ。
無視する債務者に対して法的手続で嫌がらせをして、
電話がかかってきたりすると嬉しくてしょうがない。
年金支給日前日に差押命令が送達されるように調整して図に当たったりしたら、
笑いが止まらない。
借りたカネを返さないヤツには腹が立つので、
電話をすることも督促状を出すことも、
訪問することも全く苦にならない。
私は借金を取り立てるのにはストレスを感じない。
しかし、
返せないかわいそうな人をマグロ漁船に乗せたり、
風俗で働かせて回収することは、さすがに心が痛い。
(違法だ)
だから、貸金業者や、金融機関の管理部門、企業の債権管理部が良い。
生命保険やら不動産など、
どこから買っても構わないようなものを、
興味もない人に売ることは非常に苦痛(ストレス)だ。
とにかく働くならば、自分にとって低ストレスの仕事を選ぶべきなのだ。
高ストレスの働き方は結局高コストになる。
結局高いストレスを受けながら働くと、
ストレスの解消をしなければ人間は壊れるようにできている。
ギャンブル、男(女)、過食など、
結局高ストレスで高い収入を得ても、浪費せざるを得なくなる。
子供のため、家族のため、などで頑張って働いている人は、
よく病気になって死ぬが、
これは無理がたたっているのである。
長い目で見れば低ストレスの仕事を長く続ける方が良い。
収入は生活ができるだけあれば十分である。
やりたいこと探しをやめろ。お前がやりたいことは「働かないことだろ?」
学生諸君はやりたいことを探して就職してはいけない。
そもそも働くとは、嫌々やることである。
嫌々だろうが楽々だろうが、
やらなければしょうがないので、
低ストレスの仕事を選ぶのだ。
無論入社前の面接で、正直にそんなことを話してはいけない。
面接の際はタテマエを使え。
しかし、
働かないことを諦めることはない。
ほぼ、働かない状態。
になることは可能である。
それは勤め人大家という道、
そして専業大家という道の先に、ある。
まずは食い扶持を確保する。
頑張って欲しい。
つづく