貨幣(=国債)を供給して豊かになるか

資本主義の分析

蛇口がどこにあるか?

維新の会はアホ丸出しなので、
貨幣と言うものを理解しておらず、
些末な文書交通費とかいう国会議員の経費をあげつらって得意になっている。
マスコミも無知な国民もそれに乗っかって無駄だ無駄だと騒いでいる。

国会議員が100万円程度の交通費を使わないでどうする。
どんどん使って立法活動をしたらよい。
日割にするとかしないとかクダラナイ。

まあそんなアホはさておき。
れいわ新撰組や、国民民主党が積極財政を普通に主張するようになって嬉しい限りだ。
私も比例はれいわに投票したが、
そのうち積極財政に政策が転じることもあると思う。

さて、今後貨幣を積極的に市場に供給する場合、
どこにその貨幣が供給される蛇口があるのか?
それを知らないと、どこにコップを差し出したらいいか分からない。
どこにコップを出すのか?
それは常に知っておく必要がある。

今はここだ!

持続化給付金、子供給付金(仮称)、家賃給付金、雇用調整助成金。
この辺りには蛇口がある。

しかし、このブログを読んでいる人には自明だが、
子供1人10万円以外は全て「事業者限定」である。
ここから確かに貨幣が供給されていることは間違いない。
しかしここには、「勤め人」という立場ではアクセスできないのである。

特に税務当局認定済の高給勤め人たる私は、当然10万円すらもらえない。
まあもらったところで、私立中学の学費(年間80万円)の前には焼け石に水だ。

今は積極財政でもなんでもないが、
それでも政府が発行を独占している貨幣水道の蛇口にコップを出せるのは
「企業(個人事業)」だけである。

上記だけではない。政府系金融機関や各都道府県の信用保証協会。
ここからも貨幣が供給されている。
こちらは借入だが、超低金利で貨幣が供給されていることは間違いない。
ここから供給されたお金が、不動産や株式市場に流れ込んでいることも容易に想像できる。

いずれにしても勤め人には縁がない。
日本政策金融公庫にしろ、保証協会にしろ、
勤め人は一生世話になることがない人がほとんどだろう。

そう、勤め人には貨幣を供給する蛇口などないのである。
これも「勤め人は豊かになれない」という1つの事例であろう。

仮に「積極財政」に転じたとしても、勤め人には蛇口はない。
あくまでもまず貨幣水道から出た貨幣は、まず、企業に流れ込む。
勤め人はそこからおこぼれを頂くしかないのだ。

貨幣が増えても結局は「知恵と勇気がある企業オーナーにカネが集まる」

まあ、そんなわけで、私がやればよいと思っている、
積極財政により、政府が支出をガンガン増やしても、
その支出を受ける(=売上をゲットする)のは「企業」であり、
その所有者である企業オーナーなのだ。

勤め人は爪に火をともして貯めた給料のたくわえで、
株を買ってみたり、不動産を買ったりして企業オーナーのオコボレに預かるしかない。

所詮積極財政をしようが何をしようが、
知恵と勇気を持った企業オーナーにカネがまず流れ込むのは間違いない。
公共事業をやれば土建屋だろう。
介護を強化したら、介護事業者。
医療を強化したら、医療機関や、製薬会社。
勤め人には流れ込まぬのである。

積極財政になっても、法人すら持っていない勤め人には恩恵はないのだ。
期待してはイケない。
結局富は「企業オーナー」、即ち資本家に集積されていくのである。
そして貧富の差はまた拡大する。

この貧富の差を調整するのが、
「税金」なわけで、税金は富の再分配機能が最も重要な役割だ。
「財源」ではない。
貨幣は政府が供給すれば無限に供給可能である。
供給し過ぎた時に貨幣を市場から回収したり、再分配するのが税金だ。
また、特定の方向性に経済を誘導する役割も、税金にはある。

ガソリン車に課税して、水素エンジン車には課税しない。
など、人の経済活動を特定の方向に誘導する機能もある。

よく公務員に対して税金でメシを喰っているという馬鹿がいるが、
別に財源は税金ではない。
政府が供給した貨幣も財源である、

大事なのはカネではなくて、
商品やサービスを供給できる力である。
カネがうまく回るようにしてこなかったから、
商品やサービスが売れない国、経済になってしまった。

その結果、震災が起きても復興もできないし、
電気や水道、橋や道路を補修もできなくなったのである。
この世界から借金を全部消したら貨幣はなくなる。
物々交換の世界になるだろう。

今は9割の人間が貨幣を金貨と同じように理解してバカな緊縮をやっているが、
貨幣の本質を理解したら、財政政策は変わる。
インフレにもなる。
しかし、それでもなお、資本家は豊かになり、労働者は貧しいまま。
この事実は絶対に変わらないのである。

水道の蛇口の前に並べる人間になろう。

つづく