給料とは げに ありがたきもの
世間では25日が給料日。
という皆さんが多いことだろう。
私もそうだ。
給料日には必ず、
決まった金額(から色々控除された後)が、
振り込まれてくる。
私もかれこれ15年も給料を頂いてきた。
私の副収入である家賃の場合には、
「月末までに支払われない」
「滞納が長期化する」
というケースも発生する。
(実際には給料も遅配することはあるが)
一方過去、私は給料が遅れて支払われたことは1度もない。
本当にありがたいものである。
しかし、給料はその、確実性が故に、中毒性があることも見逃してはいけないポイントである。
中毒の副作用:給料を前提に支出を組み立てる
結論から言えば、
給料を受け取ることを前提に人生を組み立ててしまう危険である
一生サラリーマン!
と、決めたとしても、
私も勤務先の倒産を経験しているので、
その給与がいつまでも貰えるとは限らない。
にも拘わらず、
35年と言う長期のローンを組んでしまったり、
20年以上の長期プロジェクトである
「子育て」にかかる費用を全て給料で払おうとする。
さらに恐るべきことに、
自分が病気で倒れた際に、働けなくなるリスクに備えて、
収入保障型の生命保険に入る。
そんな給料前提、「がんじがらめ」の人生設計を組んでしまう。
団体信用生命保険
というのはまさにその象徴のような制度だ。
自分の肉体=労働力に全てをかけている。
副作用の恐るべき症状
この日本ではバブル崩壊以降の失われた30年、
そして失われ続ける今後数百年を通じて、
「給与」は一貫して下がり続けてきた。
(「実質賃金」「推移」でgoogle検索してみるとよい)
統計的に一貫して下がり続けている給与に、
人生をかけるのは極めて
「分の悪い勝負」である。
しかし、
それでも我々は「転職」を試み、
「昇給」を目指してしのぎを削る。
さらに「次世代」の子供達にまで
「給与」を前提としたライフプランを強制し、
より高い「給与」を獲得できるよう、
「教育費」に貴重なカネを突っ込み続けている。
ちがうんじゃないか?
下がった給与はどこへ行ったんだ?
ロスジェネ世代の私達。
下げられた給料はどこへ行ったのか?
それは簡単である。
国家に没収された?
NOである。
税金を引き上げて国家に入っているのではない。
それは「政府の借金残高」を見ればわかる。
政府の負債は一貫して増加している。
そう、政府は確かに労働者から税金・社会保険料を徴収しているが、
けして自分が肥え太るためにやっているのではない。
ではどこへ行ったのか?
![](https://investment-finance.net/wp-content/uploads/2020/02/HOJINZEI-1024x564.gif)
そう、法人税が下げられている。 ※出典 財務省
つまり、「企業」にカネが流れているのである。
直接的に企業にカネが入っているのではない。
しかし、
まず、企業にカネが入る。(売上)
次に労働者に払われるカネ(給与)が減る。
政府に払われるカネ(法人税)が減る。
つまり企業にカネが残る「仕組み」が作られているのである。
政府、企業、家計
経済学で言うこの3つの経済主体のうち、
企業にカネが集まるように政策が誘導されているのである。
では、我々はどうすべきなのか?
結論から言おう。
「勤め人 + アルファ」
である。
勤め人という立場に居ながら、
政策的に優遇されている「企業」のシステムに入り込んでいくのだ。
サウザー師匠が言うところの
「商品」を持て(「勤め人」から「企業」の側にシフトせよ。SAT解釈)
ということである。
ステーキじゃないんだから、
「いきなり起業・脱サラ」は難しいし、
私のようなビジネスセンスのない「勤め人脳」の人間こそ、
まずは「勤め人+アルファ」で、
「半分労働者」「半分中小企業」
という構造に変化していくべきなのだ。
政府が悪いとか、
大企業が悪いと言っても、選挙に行っても
我々の生活は何1つ変わらない。
それよりも大企業に潜り込んで高給を得て、
高給を貯め込んで不動産を買い進める人生を私はおススメしているのである。
給料日だからと言って飲みに行っている場合ではない
まとめである。
給料が出たからと言って、
浪費してしまっては永遠に下がり続ける実質賃金に人生をリンクさせていく
一生が続くだけだ。
変化
変化
変化である。
今が変化する時なのだ。
「どうせ労働者は変化できないんだから、もっと給料さげようぜ」
「もっと税金上げてやろうぜ」
という、企業・政治の声なき声が聞こえないだろうか?
聞こえないとしたら、そのまま家畜として生きるしかない。
聞こえたならば、変化する時だ。
つづく