幸せとは何か

考え方

そんなことも知らないのか?

幸福とは明確に定義することができる。
アドラー心理学。心理学というより哲学だが、
幸福とは「自分が誰かの役に立っていると、自覚できること」
ここでは単に「貢献感」という。

人は「俺は誰かの役に立つ人間だ」と思えることで、幸福感を感じるようにできている。
子供ができたら、幸せを感じるのは
子供の人生には私(オレ)が必要なんだ!と思えるから幸せなのである。
親の介護でも、公園のゴミ拾いでも同じだ。
ボランティアなんてその最たるものではないか。

ここで重要なのは「実際には役に立っているかどうかは問題ではない」
と、言うことだ。

テロリストだって、悪い政治家を殺す、治安を乱す売春婦、パパ活親父を抹殺するなど、
社会の役に立っているという「自分だけの意識」で行動している。

無職で親から相続した3億円の資産を持つ配当暮らしの40歳おじさんであっても、
「納税している」「1日3回食事をして経済を回している」
と、自分で思うことが出来たら、それは幸せなのである。

つまり、そんなレベルで自分が他者へ貢献していることを認識できればOKなのだから、
人は、今すぐ、この場で「幸せになることが可能」だ。

他人の幸福を定義することはできんのだよ

幸福が自分が誰かの役に立っていると思えることだとしたら、
人を幸せにすることはできないことが分かる。

幸せになるために大家をやりたいという人がいたら、
私は大家になることを勧めない。
まずは幸福を定義しなければならないし、
そもそも今すぐ、この場で幸せになることも可能なのに、
あえて、自分が幸福ではない、だから大家をするのだ。

と、遠回りをする必要もないのである。

そもそも、親が生きていれば、子供が生きているだけで、
親は「ありがたい」と、思うだろう。
それに気づいたら、自分は生きているだけで価値がある。
すなわち幸せだと理解できる。

簡単な話である。

しかし、簡単ではあるが、幸福とは「主観的」なものだから、
他人を幸せにすることなんてできないのである。

「お前を幸せにする!」
と、息巻く男性がいたとしたら、彼は幸福を理解していないのだ。
相手の幸せは相手が決めることなので、
仮に毎年1億円を与えたとしても、相手が幸福かどうかは分からない。

経済的にメリットがあることは間違いないのだが、
それは幸福とイコールではないのである。

情けは人の為ならず

日本人はこの幸福論を本質的に理解できるはずだ。

情けは人のためではない。
自分のためだ。

という「ことわざ」がある。
まさにそう、
人にやさしくすると、「俺はこの人の役に立っている」と、思うことができる。
それでいいのである。
相手にとっては実は迷惑かもしれないし、
気持ち悪っ!と思っているかもしれん。

それでも全く構わない。

人にやさしくして「あー俺っていいことしてる」と、思えたらそれでいい。
人にやさしくするのは自分のためなのである。

感謝を求めるなど、愚の骨頂。
それは承認欲求であり、幼児性である。

承認欲求は、そもそも自力では生存できない子供に必要な本能であり、
自立して生活できる大人には必要がない本能だ。

しかし、子供時代に親から愛情を感じられないまま大人になると、
消えるべき本能が残ったまま、成人してしまうケースがある。

実際、現代は共働きで祖父母とも別居しているから、
幼児性(承認欲求)を引きずったまま大人になる人間が多い。

私も実はそうだった。
看護師である母親は夜勤やらなにやらで、あまり一緒にいなかった。
それでも20代までには承認欲求を振り払うことができた。

結婚、子供ができたことで、貢献感という幸福の本質に舵をきることができたからだ。

30代後半で子供がいない女は狂いやすい

女性は子供ができれば、幸福感を感じられるものだが、
現代では打算と金銭で結婚を決めてしまう。
男性が総じて貧困化していて、まず、結婚相手が見つからない。

そのくせ、一夫多妻制ではないから、
カネを稼げる男は獲得競争が激しい。

女も自分で稼いで、自分が気に入ったオスの子種だけもらえばいいのだろうが、
そんな力もない、そんな女は本能が狂ってしまう。

そこで、「私は生きているだけで価値がある」
と、認識すれば幸せになれるのだが、
まあ欲深い女連中はそうは思えないのだろう。

男も狂うには狂う。
狂うが、男の狂人は犯罪を犯して塀の中に隔離されることが多い。
犯罪を犯すほどの度胸もない人間は社会の中で自分の趣味に没頭して、
病気になって死ぬ。
比較的わかりやすい。

女の狂ったのは犯罪を犯すわけでもなく、
「行動を起こす」
これが面倒だ。
表現の自由があるので、これを塀にぶちこむわけにもいかない。
社会を変えようと、適法な行動をするのだ。

これがまた悪影響を起こす。
全くもって始末が悪い。

具体的な事例を挙げると私も危ないので、
具体歴な事例は各人でググってほしい。

男女平等だ、ジェンダーと騒ぐ連中だ。
そもそも男女は平等どころが、動物全てオスの方が圧倒的に厳しい世界だ。
厳しいところはやらないけど、
おいしいところは食わせろ。

まあ、これが狂った女の主張である。

狂った男は犯罪者になるか、社会でひっそり死ぬ。
狂った女は社会を変えようとする。

まあどっちも迷惑な話である。

自立した大人に承認欲求は不要だ。
幸福の定義を再確認して、
「今すぐ」、「この場」で「幸せ」になった方がいい。

をはり