大友 宗麟

戦国武将研究室
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大友 宗麟(おおとも そうりん) 生誕 1530年1月31日 ~ 死没 1587年6月11日 ※享年58歳

志は「切支丹保護」

切支丹を保護せよ
日ノ本にデウスの教えを広めるべし

布教

切支丹の拠り所が必要なり
宣教師を助け、南蛮堂を建立すべし

王国建設

切支丹の理想の王国を作り上げん
万物が集う、豊かで平和な国となるだろう

布教

戦国時代、日本各地には南蛮堂が建てられました。
そこは祈りの場であると同時に、
宣教師や南蛮人らが集う場でもありました。
大名たちにとって南蛮堂の建立は大きな富や
最先端の情報を得る手段でもあったのです。

基本(西洋医学):農兵・足軽の死亡率が下がる

条件(南蛮商人):鉄砲の取引量が増える

条件(拠り所):拠点の人口が増えやすくなる

悪(異教排斥):寺・神社のある拠点の兵糧収入が減る

王国建設

キリスト教に深く帰依した宗麟は、
日向に理想のキリスト教王国を築こうとしていたと言われています。
寺社を壊し、家臣団との軋轢を生みながらも、誇り高く自らの信じる道を進んだ宗麟を、
宣教師たちは「王」と評して本国に伝えています。

基本(宣教師来訪):南蛮堂のある拠点の商圏の金銭収入が増える

条件(寺社領取り上げ):南蛮堂のある拠点の兵糧収入が増える

条件(南蛮貿易):領内の商業港が貿易港と同じ扱いになる

悪(市の独占を禁ず):商圏の独占ができなくなる

統率 78
武勇 70
知略 81
内政 83
外政 96

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日本人奴隷を輸出して大儲け

この大友宗麟はトンデモない奴です。

キリスト教に系統しているのに出家してバランスを取るというわけの分からなさもさることながら、
日本人を奴隷として世界中に売っていたというところでしょう。
島津家はあまり好きではなかったですが、
この大友宗麟という悪党を駆除したのは立派!
そして日本人奴隷の売買を禁止して伴天連(バテレン)追放令を出した
豊臣秀吉こそ、素晴らしい天下人です。