給料は労働力の維持、回復の費用
恥ずかしながら、私はマルクスを読んでこなかった。
サウザーさんが紹介してくれて、
この概念を知った。
私が、共産主義に対するアレルギーがまだ残っている世代だからかもしれないが、嫌いでも名著は若いうちに読んでおいた方が良い。
給料の上限、下限というものは法律を含めおおよそ決まっているものだ。
100万円~2,000万円。
この幅に99%が収まるであろう。
確かに多少贅沢な暮らしだろうが、
ギリギリの生活だろうが、
生きていくために必要な線で金額が決まっている。
私も上記の幅の中にいる。
(不動産収入を足せば超える)
なぜこのレンジか?
という問題を考えずに30代後半になってしまった。
それでも知ることが出来ただけラッキーだ。
「サウザーさんありがとう。」と、言いたい。
しからば当然、資産形成はできないシステムになっている。
給料が労働力回復のコストを賄うものである以上は、
資産形成ができるはずがない。
給料から生活費を払ったら残らないからだ。
つまり、労働者は永遠に労働者であるしかない。
ただし、労働者も高齢化してくると使えなくなる。
企業も労働者に対して将来は定年という名のリストラを実施する。
老後に無一文で叩き出されるのでは、安心して働けないので、その不安を除去するために、年金制度や退職金制度がある。
だが、年金も退職金も若いうちには得ることができない。
むしろ、労働者が資産形成をできてしまうと、
労働を辞めてもOKになるので、企業としては使いにくい。
労働者は使い物になる間は労働するよう仕向けられている。
まあ、そんなに世の中を対立的に考える必要もなかろうとは思う。
この思想の延長線上に共産主義という攻撃的なイデオロギーがあるので、私たちはクールに考えていきたいものだ。
2か所から収入を得れば1か所分はまるまる資産形成に回すことができる。
さらに敷衍して説明すると、
給料が生活コストを賄う費用であるならば、
それ以上に働いた分の稼ぎは生活コストを上回るのであるから、
それを自分の商売を作るために使おう。
それがサウザーさんの提唱する作戦だ。
サウザーさんがこれを理屈で実行してきたのに対して、
私は感覚でやってきた。
もっと金が欲しいから不動産投資をしようと思ったし、
不動産を買うために友人と起業してスタートアップを手伝ったという過去がある。
まさにこれこそ現代の資本主義攻略法であろう。
勤め人は通勤電車で
— SAT@勤め人大家 (@KunimasaS) October 29, 2019
理不尽な命令を実行する日々。
ボロ戸建大家はクサイ家を修理する日々。
どちらかを選ぶのではない。
両方やるのである。
両方やるからこそ、カネが残るのだ。
勤め人か、フリーランスか?
という対立軸で考えてはいけない。
どっちか?
ではなく、両方だ。
両方やらねばならない。
なぜなら、種銭を早く稼いで、
若くして経済的に自由にならねばならないからだ。
そして経済的に自由になるためには、資産が必要なのである。
自分が労働しなくても代わりにキャッシュを稼ぐ資産がいるのだ。
それを早く、たくさん買ったらこの資本主義ゲームは勝ちだ。
蛇足:私が経済的自由獲得が遅れている理由
家族を持ったから。
この1つの理由に尽きる。
家族は長期有利子負債のようなものだ。
経済的には当然持たない方が有利にゲームが進められる。
私は28歳で資産ゼロの時に結婚してしまったので、
失敗した。
ただ、人生は経済的自由さえ獲得できればいいかと言うと、
そうでもない。
遺伝子の繁栄ということも決して意味がないことではない。
ある意味経済的自由を達成してしまうと暇だ。
人生は長い長い暇つぶしなのかもしれないし、
その暇つぶしの相手として、
家族や子供は居たらそれなりに楽しい存在だ。
をはり