GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代

読書

アダム・グラント著

Audibleで繰り返し聞いている。
コロナ禍の最中は、ネットゲームに課金したり、
ダラダラした生活を送ってきた。
2年間全く足踏み状態をしていた気がする。

カネ(高給勤め人+大家)
名誉(勤め人としての地位)
女(妻)
子孫繁栄(3人の子供)

の全てを手に入れて、あとは人生ウィニングランだ。
と、目標を見失いかけていたのが私だ。

人生の醍醐味は目標を達成するためのプロセスにあると思う。
目標を達成し、次の目標がない状態は
「死んでいる」のと同じことだと思う。
そう、私は死んでいたのである。

この本を読んで、私はもう1度立ち上がることを決めた。
2年間、自堕落な生活をして、
世の中を冷めた目で見て、皮肉っていた。

ギバー、テイカー、マッチャーと言う分類

性善説と性悪説があるように、著者は人間を3種類に分類する。

ギバー ・・・与える人
テイカー ・・・奪う人
マッチャー ・・・損得のバランスを意識する人

自分がどれに分類されるかは簡単にわかるテストがあるので、
ネットで調べてやってみたら良い。

ちなみに私は「完全なるギバー」
だった。
私は仕事ではマッチャーであることを求められる。
投資回収でリターンを出す世界で働いているので、
どうしてもマッチャー的なふるまいが求められる。

ただ、大家業においては確かにギバーである。
可哀そうな入居者の更新料はオマケするし、
リフォーム費用に関して、1度信頼した業者さんの見積もりは値切らない。

確かに私はギバーである。
明白なる損以外は多めに見て、お互いWINーWINならそれでよいと思う。

カネに関してもせいぜい自分が楽しく生活できて、
子供が夢を追いかけるだけの稼ぎがあれば満足だ。
名誉欲は低い。
こうしてブログを書いているだけで自己顕示欲は満たされる。
女に関してもたくさんの美女を抱きたいとは思わない。
自分の子供が3人もいるので、子孫繁栄意欲は満たされた。

仮に私がテイカーであったら、
もっとカネが欲しい、名誉も欲しい。女も抱きたい。
と、言う方向に行くことができただろう。

年収2,000万円では足りぬ。
もっと、もっと、と、前進を止めずに進むことができたのだと思う。

私はギバーという性質があったからこそ、
この程度の成功で満足して、歩みを止めてしまったのだ。

しかし、私は気づいてしまった。
私がギバーであることに。
ギバーである私が、前進を再開するために必要なことは
「与えること」だったのだ。
手に入れたモノで満足しているなら、
与えれ(手放せ)ば良いのである。

誰に何を与えるかは、これからの課題だ。

誰に、何を与えるか。

妻には十分な生活費を、
息子には望む教育を与えられる状況にある。
これ以上与えようと思ったら、
「社会」に与えねばならぬ。

私は「社会」に目を向けたいと思う。
既に十分持っている私は、
社会に対して、自分の持っているモノ全てを与えようと思う。

先ずは「勤め人+アルファ」の生き方を、
それを欲する人に与えたい。
求めている人には惜しみなく与えようと思う。

とは言え、これまでも求める人はいたが、
それらの人たちは私に勝手に質問して解決して、勝手に行動して、勝手に成功している。
これでは与え足りない。
もっと与えたい。
しかし、要らないモノを与えるわけにはいかないし、
テイカーに奪われることを歓迎する私でもない。

とりあえず、年間100時間程度のボランティアをやってみようと思う。
ギバーはボランティアで幸福を感じることができるらしい。
貧乏生活が長かったので、対価の発生しない労働を忌み嫌ってきたが、
ネットゲームでカネを使って弱い者いじめをする時間よりは確かに有意義だ。

週末の1日を何かボランティアを始めようと思う。
参政党がよさそうなので、参政党の活動に協力するのもよさそうだ。

目標を見失って、自堕落な生活に陥った私と同じような、
中途半端な成功者(ギバー)には是非読んで欲しい。
そして、人生を再開しようじゃないか。

つづく