子弟教育に必要なのは愛情と見守りしかない

相続・教育・次世代

道路陥没

2025年2月八潮市

誰だコンクリートから人へ
なんて言ってたアホは。

このブログでもたまに書くのだが、
建設会社や農家というヤツは、絶対に200%の生産量を確保できるように
政府が「介入」しないといけない業界である。

資本主義に任せていると不都合が起きるのである。
日本中に道路やら水道を敷き詰めてだな、
インフラ整備が「終わった」とする。
そうしたら建設会社が倒産していくだろう。

インフラが新たに建設できなくなったところに、
自然災害、戦争が発生したら、
もう復旧すらできなくなる。

常に治水、港湾開発、新幹線整備、電柱の地中化など、
どんどん仕事を作ってやらないとダメだ。

特に災害が多い日本にあってはなおさらだ。
それは無駄とは呼ばない。
150%、200%の生産力を維持させる能力。
それを「国力」というのである。

食料の自給率も100%が絶対だ。
日本の食料自給率は、肥料やら飼料、運送費まで加味すると
既に10%を切っている可能性が高い。

輸入に依存している場合、
外交カードとして輸入している相手国が使ってくる。
戦争が発生したら、単に海上封鎖すればいい。
それでアウトである。

食料を必要量の200%維持できる能力。
繰り返すが、これを「国力」というのである。
これは民間にはできない。
なぜならば、100%を超えた「売れ残り」は廃棄せざるを得ない。
ロスである。
トヨタの看板方式が優れているのは認める。

採算に合わないことをするために政府があるのだ。

人材に投資するという考えは間違いだ

アホな親が、子供に教育費を突っ込むのは実にアホらしいことである。
社員の勉強のためにカネを出すと言うのも眉唾ものである。
教育して成果が出た社員を俺は知らない。

成果が出る社員は異常に働き、結果を出す。
仕事をする以外に成長することはない。

エース社員を東大に行かせて戻ってきたら売り上げは倍増すると思うだろうか?
絶対にならん。

しかしだ。

社内のインフラ、システムに投資すると、コストが半分に削減できる場合がある。
人力で工事する場合と、重機で工事した場合では、
売上は100倍以上になる可能性がある。

つまりだ。
設備投資。
これしかない。

人間はあくまでも現場で仕事をして勝手に成長するものであって、
カネをかけたから成長するという単純なものではない。

問題は本人の意識の問題だ。
一生懸命なヤツは会社からカネを貰うまでもなく、
勝手に本を買い、勉強しながら働くのである。

お私立受験を押し付けるよりも貸家を買え

子供自身がやりたいかどうか怪しいお受験などさせる必要はない。
私は親から勉強しろなどと言われたこともないが、
勝手に高校から一人暮らしをして盛岡の高校に進み、
勝手に東京の大学を受験した。

野球が好きな子供はやめろと言っても野球をするだろうし、
ゲームが好きな子供を見ればよく分かるだろう。

特に勉強ができる能力というのは先天的なもので、
後天的に改善できるのはせいぜい数%だと言う。
勉強が嫌いなヤツは職人、技術者になるかもしれない。
放っておけばよい。

そもそも賢い親から馬鹿が産まれることもあるし、
頭の悪い親から天才児が爆誕することもある。
馬鹿にお受験勉強させてもそれは投資とは言わん。
負けが確定しているのだから、
ギャンブルにもならぬ。
ただ、カネをドブに捨てているだけである。

しかしだな、

貸家は確実だ。
天才もバカもない。
20年しっかり立っていた家は40年、しっかり立っている可能性が高い。
中古の貸家は家賃を毎月確実に運んでくる。

教育よりもよほど、確実である。

勉強が嫌いな子供に教育費を1,000万かけたとしよう。
予想通り子供は学業では成功できなかった。
しかし、その子はゲーム制作で素晴らしい能力があって、
その専門技術を学びたいとなったとき、カネがない。
これほどアホなことはない。

その1000万円で貸家を買っておけば、
家賃も増えただろうし、
脳死で貯金しておいても、子供の能力を伸ばせる方向で
支援ができたであろう。

名馬は常にあれども、名伯楽は常にはなし。

自分が子供の能力を見抜けないのであれば、
子供の自主性に任せて、
子供が能力を伸ばそうと思ったときに
支援できるよう、準備をしておくのだ。
親にできるのはそれしかない。

愛する以外に親にはできない

カネも重要だが、
子供を愛することも同じく重要である。

誕生日を祝う。
クリスマスに贈り物をする。
お年玉をやる。
など、基本動作もあるが、
努力を褒める(結果を褒めてはいけない)
など、親にしかできないことをしっかりとやっておかないと、
屈折した精神が形成され、
自己肯定感が低く、社交性が欠落してしまう。

私も多少その傾向があって、
今でも苦労しているし、
その克服には時間がかかった。

それでも私などはまだまだマシな方で、
もっと異常な個体が日本中にいる。

当然自分の子供だから愛情は誰もあるだろう。
それは屈折した受験の強制という形ではなく、
子供を信頼し、ありのままを肯定することが重要だ。
表現しなければ伝わらない。

それができた上で、
自分の生きざまを見せればいい。

自分の学歴コンプレックスのかたき討ちを
子供に強制してはならんのだよ。

をはり