加藤先生の著書を読み直す
読書をしても知識は自分のモノにならない。
それは忘れるからだ。
特に自分が経験していないことは、
読書してもスルっと抜け落ちてしまう。
夏目漱石の小説を読んでも、
夏目漱石のような文章は書けないし、語彙力も身に付くわけではない。
しかし、
読書は必要だ。
読まないよりは知識が入る。
そして、著者の魂を感じることができるのだ。
ある意味、書籍の著者はパンツを脱ぐよりも恥ずかしいことをしている。
己の脳内を世間に発表しているのである。
精神世界を世界に開放しているのだ。
さて、前置きが長くなって恐縮だ。
3回以上読んでいるはずなのに気づきがあった。
「県民共済」だ。
こんなに安い火災保険があるのに、
なんで俺は使わなかったんだ!
と、読んでいて気が付いてしまった。
はてな?
と思って早速加入しようとしたら、
「法人はダメ」
だった‥‥。
残念無念。
しかし、個人で借りている自宅や、
まだ個人の名義になっている。
1区分は県民共済で対応叶姉妹だ。
つくづく「ちゃんと読んでいない」
ことに気づき、反省しきりである。
読書とはザルで水をすくうようなものだ
まったく恥ずかしい。
どこかで見た文章だが、
読書とはザルで水をすくうようなものだという。
水は全てこぼれてしまう。
しかし、
ザルはきれいになる。
また、
ザルには少しだけ石が残る。
ザルは自分の頭であり、
流れる水は著者の知識である。
他人である著者の水を完全に自分のモノにはできないが、
エッセンス、石のカケラは確かにザルに残るのである。
いい例えだ。
早速使わせてもらっている。
聖丁ラジオを聞き直す
読書とはザルで水をすくうようなもの。
況や聖丁ラジオをや。
である。
反省した私は聖丁ラジオを聞き直すことにした。
今は事業者になっている聖丁よりも、
勤め人を卒業したばかりの昔の収録を聞き直すことで、
新たな学びがありそうだと思った。
最近はAudibleで小説を聞いたり、
岸見一郎先生の著書を聞いていたのだが、
再び聖丁ラジオに戻っている。
今聞き直しても学びが深い。
聖丁は「勤め人をやめる必要はない」
「サボって楽をしようという話ではない」
など、堅い話もしている。
当時は勤め人卒業頭で聴いていたので、
その保守的な発言は聞き流していたのかもしれない。
私の心境が変わったので、
響く部分も違ってくる。
実に良い。
誠に失礼なことだが、
Voicyのプレミアム放送は聞いていないので、
聖丁ラジオを聞き直したら、
プレミアムも聞こうと思ふ。
聞かなかったらゴメンだ。
をはり