聖丁ネット芸人やめるってよ

ビジネスの話

思えば聖丁にあこがれて始めたブログ&Twitter

私がネット芸人に課金をしているのは、聖丁だけだ。
VoicyプレミアムとNoteの日記。
オーディオブックもたまに買う。

Voicyにコメントをして返信をしてもらって以来のファンである。
ファンと言っても実際に会ったことはない。
会わなければ尊敬できないというのは違うと思う。

徳川家康、織田信長も尊敬するが、
会えない。
会うこと自体にはそれほど意味があることではない。
重要なことはカリスマの「行動」を知りたいということだ。

私は徳川家康が好きなので、成功だけではなく失敗も知りたい。
成功話もいいが、失敗も知りたい。
上杉謙信も武田信玄もそう。
あらゆるエピソードを知りたい。

なぜ知りたいか?
それは行動をした際の状況、その行動をするに至った思考を知り、
自分のモノにしたいのである。

2018年当時は聖丁の行動にあこがれて私もTwitterとこのブログを始めた。
5年も経ってみると聖丁は社長になっているし、
ブログもTwitterも更新していない。
一方私は相も変わらず勤め人大家である。
ブログもTwitterも頻繁に更新している。
私は5年間何も変わっていないが、
聖丁は色々面白い行動をしてくれた。

なんだか私の代わりに行動してくれたような気がして、
自分は何もせずに経験値だけもらったような気がするのである。

① ネット芸人活動
② 飲食店経営
③ 社員を雇うタイプの起業
④ 家族の話
⑤ アレ

聖丁が興味を持つことは私も大体興味深い。
とはいえ、自分でやるのは面倒というか、
特にラーメン屋はやってみたいなと思った。
ただし、実際には絶対にやらない。

私という人間の完全な上位互換。
ガンダムで言えば私がマークⅡだとしたら
ゼータガンダムが聖丁である。

ゼータが倒せない敵はマークⅡでは倒せない。
やってみてくれてそれを教えてくれる。
ありがたいことだった。

私は何をするのか

結論から言うと何もしないと思う。
勤め人を続ける。
大家をする。
子育ては、勝手に息子が育つのを見守るだけなので、何かするうちには入らない。

とはいえだ。

勤め人を続けることだけでも結構な労力である。
色々考えてみたのだが、
私程度の人間が社会に貢献して働くために、
今はこの勤め先で頑張るのがいいという結論に達した。

卒業して大家になろうが、
インフルエンサーになろうが、
今、勤めている仕事以上には社会に貢献できそうにない。

聖丁のようなキレはない。
加藤ひろゆきさんのようなエンターテインメント性もない。
多分発信者という仕事がそれほど好きではないのだと思う。

多数に注目されるのもいいことではないと思っている。
いくらモテまくったところで、結婚は一人しかできないし、
子供は多すぎると養育が大変だ。
「結婚もしなくていい、養育もしなくていい」という
珍しい女性がいたらコッソリ連絡してほしいくらいだ。

私もたたけばホコリの出る人生を送っているので、
目立ちたくない。

と、いうわけで今まで通り、勤める&貸家を買うという繰り返しの予定である。

健康に加齢して、家賃を受け取り、死ぬ

私も44歳になったので、ここから新たな才能が開花してブレイクするということもあるまい。

経験という意味では成長するだろう。
しかし、体力、気力、情報処理能力は落ちる一方だろう。
現状維持ができるように多少の負荷をかけつつ頑張る程度がせいぜいだ。

子供が自立してカネと異性に満足した状態になったら、
ある意味人生はクリアだと思う。
ここからやってしまう失敗はおそらく、
子孫に贅沢をさせてしまい、子孫が堕落することだと思う。

私も折に触れて指導をしているが、
最後の最後には息子の要望をカネの力で叶えてしまう。
アマアマである。

息子達が堕落せぬよう、しっかり見守りたい。

長生きをして家賃を受け取りたいというのはあるが、
もう1つ、相続対策がじっくりできる、というメリットがある。
承継対象者の見極めの時間ができる。
さらに年間で贈与税の非課税枠もできる。
孫が育ってきてある程度、能力が判別できるまで生き残れれば、
1世代飛ばして相続が可能だ。

15歳程度で会話してみればある程度の性能はわかる。
問題は私の頭がボケないかという心配だが。
現状、息子たちは可もなく不可もない。

障害がないのがラッキーだが、
まああったらあったで生きる気合が湧いてくるのかもしれない。
自分より長く生きるべき子供を見送るまで生きようという気力を与えてくれるのは貴重な存在だ。
障害を持って産まれる子供は孝行心の塊であろう。

話が散漫になったが、聖丁よりもイケてる発信者が見当たらないのが残念だ。
最上級の知的娯楽が1つ失われたわ。

をはり