2025年9月28日(日)

日々雑感

勤め人を卒業して大家業だけで生きるという人生がある。
私は既にそれが可能なステージに立った。

妻は働いた方がいいと言う。
確かに私もそう思う。
別に「コレ!」と言ってしたいこともないのだから、
家でゴロゴロしているよりは、
給与所得を頂ける間は貰っておけばいいという話である。

また、その給与所得ってヤツが
500万、600万という額であれば、
なんでそんな金額のためにフルタイムで労働しなきゃいかんのか?
と言う話になるのだが、
私の場合にはそれなりの額である。
捨てるには惜しい額だ。

ただ、嫁が怖いから勤め人をやっている。
という訳でもない。
私は親戚でも嫌いなヤツに対しては冷酷な態度を取る。

ちなみに私は祖母が大嫌いだが、
20年以上顔を合わせていない。
葬儀にも参加するつもりはない。

妻とは夫婦であり続けたいとは思うので、
意見のすり合わせをするが、
どうしても意見が合わず、共に生活が出来なくなる可能性はある。
そこで自分の価値観を曲げてまで共に生活することはしない。

どうでもいい価値観であれば自分が譲るのだが、
譲れないところは譲らない。
双方譲らなければ別居するしかない。

つまり私が勤め人を継続しているのは、
誰のせいでもないし、誰かのためでもない。
自分の意志である。という話である。

さて、

2021年に妻の相続で、世帯として十分に勤め人卒業可能なCFが確保された。
2025年3月、つまり今年には、私単体で勤め人の給与CFを不動産CFが超えた。
これが何を意味するかと言えば、
「労働力を資本家に売らなくても、一生生きていくことが可能になった」
という状態である。
つまり、労働者階級から、資本家階級への階級移動が完了した。
このように言っても過言ではない。

ただ、子供3人が生涯にわたって安泰な程の資産規模か?
というとそれは心もとない規模である。
夫婦と子供までだ。
仮に三男が家督を継承するとしたら、
3世帯、ここまでは養っていける程度ではなかろうか。

拡大していく一族全体を養育するほどではない。

無論そこまでの手腕は私にはないと思っている。
それこそ、起業して、息子たち全員を採用し、親戚まで採用して給料を払ってやれる。
そこまでのビジネスにはできないと思う。
残念ながら家督を承継できるのは一人程度だ。
さらに拡大していけるかどうかは、次世代もしくはそれ以降の課題になるだろう。

申し訳ないが、息子達には、私や兄、弟がそうだったように、
自立して頂かねばならん(申し訳なくない)。

息子をニートにさせるために資産家になったわけではないのだ。
まあ、給料10万円でいいなら、私の使用人として使ってやらないこともないが、
それを甘んじて受けるような男はクズだろう。
負けじ魂がない男、負け犬は要らないのだ。

しかし、3人とも負け犬だったら大いに嘆かわしい。
SAT家も2代目にして滅亡である。
大いに心配であるが、私にしても兄貴にしても、弟にしても、
何とか親に頼らずに家族を作って経営している。
心配には及ばず、彼らは彼らでなんとか自分の人生を切り開くだろう。

親としては心配で心配でしょうがないし、
思わず手を差し伸べたくなるが、
ぐっと我慢しなければならない。
資産家になればなるほど、手を出したくなる。
この加減が本当に難しい。
与えすぎもまたダメだ。

そんな葛藤の日々。

をはる