2025年8月8日(金)

日々雑感

最近のトピックスは、
〇 資金繰りがキツイ話。
〇 マンジャロの効果が期待以上だと言う話である。

勤め人の方は仕事も減らしてもらって、
大分快適である。

朝は8時前には出勤。
帰宅は5時である。
それでも、朝6時に家を出て、帰宅は18時過ぎだから、
1日の半分を会社に拘束されている。

それで給料を頂いているのだから、仕方ないのだが、
独立自営で同じだけ稼げるか?
と言われたら、「もうすでに稼いでいる」という回答になる。

既に、私の大家業は給与を超えている。
ココから先はマラソンで言ったら、ウィニング・ランである。

勤め人を辞めてまでヤリタイことなんて、ない。

勤め人を卒業してダラダラしたいと言う人はいるが、
それは勤め人でストレスを受けながらビジネスをやっているからである。
ハードな場面が多いから、ダラダラに憧れる。
メリハリである、メリハリ。
緩急である。

結局ダラダラが日常になってしまうと、
何かやらねば…。と、動き出すものなのだ。
その時、私は何をするだろうか?
ひょっとしたら、また勤め人に戻る可能性すら、ある。

ダメなのだそれでは。
ダラダラするために卒業するのでは意味がない。
動機として弱い。

聖丁のように、勤め人という生き方を強制されることに対する怒り。
二度と戻りたくもない!
戻らない!
という強烈な意識があるべきだと思う。

私がそれを持つのはあと5年後くらいだと思う。
文字通り不動産もさらに増えて、老化で仕事も期待通りにできなくなった時、
勤務先の「勤め人一直線」の連中から邪魔者扱いされて、
居心地も悪くなって去らざるを得なくなるのだろう。

容易に想像がつく。
その時の私の心境は、まあ、不動産収入の方が給料の2倍あるから、
こんな思いをしてまでサラリーマンやる必要はねぇよ。
そう思って、退職するなり、嫌がらせのために居座りながら弁護士に
職場の上司宛に内容証明郵便を出してみたりしているだろう。

そうなる気がする。

実はサラリーマン卒業してから、やりたかった1番目。
「断食道場」で、心身をデトックスするというプランがあったのだが、
「マンジャロ」で、別に働きながら断食もできる。
と、判明してしまって、卒業に対する意識がかなり遠のいてきた。

それほど、私の食欲は強かったのである。
苦しみであった。
という訳で、勤め人は当面続行だ。
政治家になろうというのも、所詮将来の相続対策としての政治団体が動機だ。
神谷宗幣氏のような強烈な動機があるわけじゃない。

やはりそう考えると、何かを成す。
勤め人卒業みたいな話から、政党を作るでもそうだし、
大家業をやる、女修行をする。

まあ全部そうなんだが、
強烈な動機が必要だ。
私が一番激しく求めたのは26歳の頃、ブラック営業職を辞めて、
2週間ほど無職でいた時である。
「俺は何をやってんだあああああ」
と、怒りに震えた。
そこから心を鬼にして安月給の勤め人に戻り、
副業を始め、不動産を買うプランを走らせ、
同時に「世帯」年収を1,000万にしようと、嫁探しを始めた。

全ての目的は、カネを稼ぐことだった。
そしてその目的は着々と実現に向けて動き、年収1,000万なんてものは、
世帯レベルでは結婚して妻名義でマンションを2つ買った時(2010年)に、
わずか3~4年で達成した。
妻が出産・育児に戻って年収は落ちたが、私の転職ですぐに
1,000万に戻し、さらに上積みできた。
後は給与・不動産で右肩あがりとなったのだ。

他の人がやっているから。
という理由で勤め人卒業に憧れてはみたものの、
26歳無職の2週間ほどの強い欲求ではないのである。
もたもたしているうちに、
妻の相続でSAT家の資産規模が倍増し、もはや労働は必要なくなった。

にも拘わらず、私は今日も労働している。
それは何故かと言えば、別に他にやりたいことがないから。
これに尽きる。

惰性だ。
断食道場に行きたかったが、マンジャロで日常が断食道場になってしまった。

自分探しってヤツだな。
勤め人を卒業してから自分探しをする人もいるが、
私の場合には勤め人適性があり過ぎて、
勤め人をしながらも、既に辞めている。
『静かな退職』というヤツか。

しばらくはマンジャロやら資金繰りで楽しく過ごせそうだが、
基本的には私はいつも何かを探している。
26歳の無職の2週間のようにアツくなれるヤツを。

をはり