せっかく毎日更新しているのに、穴が開いていたら気分が良くないので、
後日談であるが、日記で埋める。
8月16日は岩手県で昨年亡くなった叔父の仏前参りをし、
SAT家本家の墓参りをした。
ちょっと早いがお土産を買って、兄貴の家(父母とは別)に宿泊した。
SAT家の初代は祖父の義理の姉?
よく知らんけど、私の曽祖母である。
曾祖母の夫は生まれつき身体が弱かったようで、25歳で死去した。
子供が産まれたようだが、まあ、当時としては珍しいことではなく、
曾祖母の実の子供は夭折した。
そのため、祖父が2代目として養子的なものに入ったのだろう。
(全然知らないが、別に読者も興味がないだろうし、調べもしない)
祖父が実質的な初代であるが、
祖父も7人兄弟の7番目であり、婿養子に入ったらしい。
その祖父の実家がいわゆる『本家』である。
織田信長の織田家も、尾張守護の斯波氏の守護代の織田家のさらに下の3奉行のうちの1つ。
信長には20名以上の兄弟がいる。
尾張1国を統一するのに20代後半まで時間を要していることから、
武田信玄のような守護大名のトップからすると、難しいスタートだったと推測できる。
まあ、SAT家の祖父もいわゆる別家という立場で独立。
田1枚と小屋のようなホッタテ小屋からスタートしたようだ。
シナ(CHINA)へ出征して、戻ってから農家として畜産をやったりして生計を立てていたようだ。
貧しく、4人の子供には「大学は無理!」と言って育てたらしい。
その祖父の長男の次男坊が私というわけだ。
傍系の次男である。
さらに兼業農家のオヤジの息子だ。
まあ、先祖の系譜も全く不明。
根無し草みたいな人間である。
今年から兄貴がオヤジの後継者として正式に家族を引き連れて田舎に戻ったので、
親戚についても色々聞いてみたが、
祖父の兄弟のうち3人の家が隆盛しているらしい。
肝心の本家(祖父の兄)では、息子が産まれず、婿養子を取って、
その息子が引きこもりニートになっている。
もう40代だろうから、どうやらSAT家本家はお家断絶である。
まあもともと本家とは言え、
別に大した家でもなさそうだ。
どうせ農民の1つに過ぎまい。
滅びたと言っても差支えなかろう。
正直どうでもいいのだが、
田舎の会話ってヤツはそういう親戚やら、住民の噂話で大いに盛り上がっていたのを覚えている。
本当にどうでもいい。
自分の資産の心配をしろ。
と、思う。
思えばそういうのが嫌で俺は盛岡に行ったし、その流れで東京まで出たのだと、
改めて思い出してしまった。
田舎は本当にプライバシーがない。
全員が知り合いみたいなものだから、好き嫌いで人間関係を選別しにくい。
その点適度に都市化していると、好きな人間だけでコミュニティを形成できるし、
大都市になれば、SNSやらこのウェブサイトみたいな場所でもコミュニティを作れる。
とはいえ、東京は私も人が多すぎて辟易して千葉に引っ込んだのだが、
もう少し小都市の方がいい。
今思えば盛岡は適度な町だった。
市原市とか木更津市の中心部くらいがちょうどいい塩梅だと思っている。
どうでもいいことだが、
私の先祖もたどっていけば、天皇家にもつながるかもしれん。
だが、それが何だと言うのだろう。
更にさかのぼったら猿にまでさかのぼるだろうし、
もっと行けばネズミ、恐竜、魚類、アメーバになるだろう。
くだらぬ。自分のルーツ(過去)を辿っても、
何もいいことはない。
重要なのは今と未来である。
未来を創るのは今、この瞬間である。
そうやって、生きていこう。
をはり
2025年8月16日(土)
