年度末である。
今日は記念すべき日だ。
勤め人を始めて、給与<不動産収入(額面)となった日である。
勤め人人生20年。
長かったようで、短かった。
大学生の時、毎日ゲームやら飲み会をやっていた日々だった。
こんな毎日が一生続けばいいのに。
と、思っていた。
ソコソコ有名な大学で、女の子にもモテるし、
金はあまりないけど、少しバイトをすれば遊ぶ金にも困らない。
勉強も、まあまあ楽しかった。
司法試験を受験する振りをして、モラトリアム期間を延ばしたが、
親も老いるし、周囲もスーツ姿になっていく。
私も止むを得ず勤め人となり、
勤め人ゲームを始めた。
思ったよりキツイゲームで、
最初は大いに苦労した。
金融、不良債権という業界に入ったが、
私の能力的にゴリゴリの営業職以外であればどこでもやっていけたと思う。
難関営業職(証券、保険、投資用不動産等、要らないものを売る仕事)以外であれば
別に今の仕事でなくてもやって行けたと思う。
聖丁のように、大家業を主業として勤め人を卒業する、
そのために証券→理系営業職という転職をすることもなく、
勤め人として給与を上げながら、ダブルワークしつつ不動産。
ある程度給与が上がったら、勤め人と不動産。
そんな中途半端な勤め人をやってきた。
中途半端だから、出世は望むべくもない。
勤め人一点突破、社長にヘコヘコ、付き合いゴルフをするような
「ガチ勤め人」の連中には勝てるはずもない。
予定通り、万年ヒラ社員である。
ことあるごとに無能社員扱いである。
ただ、私は過去にしょうもないミスはたくさんしてきたが、
会社の看板に傷をつけること、ノルマの未達、不祥事などは起こしていない。
一生懸命に働き、振られた仕事は全て受けるというスタンスでやってきた。
最期はキャパシティの限界まで引き受けるので、
細かいミスが発生する。
細かいミスをあげつらって、減給させられると、
もうやる気もヘッタクレもない。
一生懸命働いて「再現性のない成果」を出すことは今の会社ではやらない。
こういう経験をすると、
将来、社員を採用した時、息子の指導方法をどうすべきか?
大いに参考になる。
社員のやる気をとにかく折らないことである。
権限と責任を与えた社員はイキイキと働くものだ。
上司は別に有能でもエライわけでもない。
法人という利益を稼ぐ共同体の中での役割に過ぎない。
そもそも、同じ勤め人である時点で、
能力的には大差ない。
本当に有能な人物は起業するなり、
新卒で一流企業に囲い込まれている。
ほとんどの二流三流企業の勤め人は無能である。
私よりも能力は低い人が大半である。
ただ、そんな能力差も
彼らが10だとして、
せいぜい私は12か13だ。
私も45歳まで勤め人をせざるを得なかった時点で、無能と大差ない。
私は勤め人8、自分の不動産4くらいで配分すると、
勤め人全ツッパの彼らの10には、負ける。
これは仕方のないことである。
逆に私は勤め人2、不動産10 に突き抜けてしまえば、
もっと早く、拡大できていただろう。
聖丁はそれをやったから卒業が早かったと思う。
一流の人間とはそういうものだ。
逆に一流の人間は
勤め人が勤まらないという点で、二流に劣る。
一流には全てがバカバカしく思えて、
その場所にいられなくなる。
という問題も、ある。
二流の私は案外しょうもない組織でもしょうもないなりに
ストレスを抱えつつ、同僚と酒を飲むのを楽しみにしながら
ダラダラ居座る能力がある。
一流は
ホトトギスを、殺す、鳴かす、待つ
という行動で対処できる。
二流は
諦める。
という第4の選択肢を持つ。
まあ人生折り返しを5年も過ぎた今思うのは、
あだち先生が言う。
「人生において自分に起きるすべてのことは、自分にとって最善である」
という言葉が響く。
岩手の山奥に産まれたこと。
貧乏農家の次男として育ったこと。
高校から一人暮らしをしたこと。
東大に落ちて、私立大学に入ったこと。
司法試験を受けたことと、諦めたこと。
借金取りをしたこと、嫌になって転職してブラック労働したこと。
ブラック労働に懲りて借金取りに戻ったこと。
外資系金融の下僕として回収したこと。
公的資金を返済しない自称エリートの銀行の子会社に入ったこと。
そこで成果を出して最前線に配置されたこと。
金融の最前線が嫌になって、外資系金融の人に誘われて外資系金融に入ったこと。
外資系金融としては前職の反省を踏まえて、「永遠のヒラ」を決め込んだこと。
私を誘ってくれた上司がさっさと転職してしまったこと。
上司が居なくなり新しい上司連中に「ゴミ扱い」され、クビにされそうになったこと。
全てが、教訓に満ちていた。
金持ちの息子に産まれて、バカな癖に慶応義塾を出て、
一流企業に入っていたとしたら、今の私にはなっていなかったと思う。
どこかで手痛い失敗をかましていただろう。
ホリエモンや、元大王製紙の井川さんでさえ、一回後ろから刺されている。
結果、私がやってきたすべては、私にとってベストだったと思っている。
そんな常にベストな私だが、
勤め人給与<不動産収入となった、今日、この日は、
極めて象徴的な日である。
今日からどんなベストなことが起きるか楽しみで仕方ない。
1日1日、確実に給与収入が、私の人生において「重要ではなくなってくる」わけで、
人生の7割くらいの時間を、その「重要ではない労働」に割いているのだ。
当然、私の行動も変わっていくことだろう。
更に、1日1日と、「不動産収入 ー 給与の額」このギャップが拡大していく一方なのだ。
どこまで私の従順な態度が、維持できるか????
大いに疑問である。
楽しみだ。自分自身がいつブチ切れてしまうのか?
それとも60歳まで羊のようでいられるか?
をはり
2025年3月31日(月)
