妻が検査入院で3日程不在にしていた。
子供は既に一番下が小学校5年生である。
既に妻と口喧嘩をするほどまでに成長しているので、
別に妻がいないから、と言って困ることはない。
洗濯機も乾燥機もある。
料理もメシは自分で作って食べる息子らだ。
手もかからん。
まあ、産まれてからここまで大きくするために、
妻に丸投げドンとやっていたのだから、
これもひとえに妻のお陰様である。
感謝である。
と、同時にそれを支える稼ぎを上げた自分にも感謝だ。
賞賛を与える。
俺、スゴイ!
妻への感謝を言うのも大事であるが、
自分で自分を賞賛するのも大事だ。
家事育児をしてくれた妻への感謝も重要だが
— SAT(サット) (@KunimasaS) December 3, 2025
自分で自分を賞賛することも同様に大事だ
妻と同じくらい俺もスゴイ
しっかり稼いで家族に貢献している
俺、天才!スゴイ!
他者からの賞賛を求めるのは
「賞賛の要求」であり、問題行動であるが
自分で自分を褒めるのは大いに良い
アドラーによると
問題行動には5つの段階があると言う。
① 賞賛の欲求
他者に対して褒めて!褒めて!と、賞賛を求める段階である。
人はこれを当然の感覚として肯定しがちだが、そもそも、他人から賞賛を求める必要はない。自分の軸を見失うから他者からの評価を求めるのである。
まさに問題行動の入り口である。
② 注目喚起
賞賛が得られないことから、奇抜な行動を開始する。
大声を出す、泣く、SNSに常識から外れた行動を投稿する。
大人でもいるぞ。
高級自動車を買ったと自慢するインフルエンサー。
家を買ったと自慢するインフルエンサー。
まさに注目が欲しくて欲しくてしょうがない状態だ。
恥を知りなさい。
③ 権力闘争
賞賛が得られない。注目されるよう奇行をしても認められない。
3段階目で、いよいよ賞賛してくれない、注目してくれない相手に対して、
攻撃を開始する段階である。
反抗期の子供が親を無視する。反抗するのは権力闘争だ。
俺はすごいんだ。コイツを無視できるんだ。どうだ!
という行動である。要するにマウンティングだ。
美人、学歴、年収、他人に勝つことで賞賛を得ようとしているのである。
まさに注目喚起よりタチが悪い3段階目だ。
➃ 復習
攻撃がストレートになる。
ストーカー、暴力である。
ここまで来ると治療、若しくは警察が必要だ。
➄ 無能の証明
諦めるステージである。
生きる価値がない、存在する理由がない。という思想に絡めとられ、
自傷行為の末に自殺する。
男だろうと女だろうと、
お父さんスゴイ!いつもありがとう!
お母さんいつも家事をしてくれてありがとう!
という賞賛の欲求があふれているし、
それに対応するのが素晴らしいと言われている。
しかし、
私はそれらを一切必要としない。
別に賞賛されなくても、私は父親としての責務を果たすし、
賞賛されなくても、別に構わない。
なすべきことを成しただけだ。
ただし、俺は俺を認めている。
他人からの賞賛は必要ないが、俺は自分がいつも素晴らしい男だと思っている。
声を大にして言う。
俺は天才だ。と。
だから誰かに認めて欲しいとは思わぬが、
俺は俺を誰よりも認めているし、満足している。
それで十分なのだ。
敢えてブログで言わなくてもいいのに、こんなことを言うのは、
是非、他社からの賞賛を求めて、高い外車を買った、だの。
〇〇仲間で酒飲みました、ウェイ!
みたいなアピールをすることを、考えてほしいのである。
それは人間が持っている本能。
社会的生物としての反射だ。
他人から認められないと生きられない本能である。
それは小さなうち(1段階目)のうちに潰しておくことが望ましい。
他者から認められる必要はない。
自分はそのままで完璧で素晴らしい、と、自分が認められればそれでいい。
こんなの俺じゃねぇ!と、怒りを覚えたら成長すべく努力したらいい。
他人は関係ない。
自分で納得できる人生を送りたいものだ。
をはり