家賃収入が、勤め人収入を上回った。
私は幸せだと思ったが、
今、幸せかもしれんが、
昔は不幸だったのか?
って話である。
2025年3月31日を境に、
勤め人給与が家賃に逆転を許したが、
その日から幸せ、それまでは不幸と。
そんなわけはない。
果たして、私はいつ、不幸であったか?
振り返ってみると、
実は私はいつも、どの時期でも幸福であったと思う。
東大に落ちたその日も、
3回目の司法試験に玉砕した時も、
私は常に不幸ではなかった。
大家になる前も別に不幸ではない。
ブラック企業で営業されつつパワハラを受けていた時は確かに地獄だったが。
その経験が私の背中を押してくれて、
大家業に進ませてくれたと思えば、
神様からの愛の鞭(むち)だった。
不幸だったのは、
自分が大学の友人たちが「いい会社」に入って年収を上げていく中、
30歳を前にしても500万円にもならない年収のまま、
名も知らぬ会社で勤め人をしていたことを惨めに思っていたことだろう。
自分で自分を不幸だと定義していたに過ぎない。
妻も居て、長男もいたのだから、実際、
別に不幸ではない。
そう考えてみると、
別に幸福になるために、カネも不動産も必要ないと思う。
手に入れてみれば、一流企業の給与並みの家賃収入と言うのは大したことはない。
さらに考えてみると、
昔も今も、幸福だったし、将来も幸福な人生になると思っている。
結局、欲しかったものを手に入れてみると、
全てが許せるようになる。(人によるが)
大家業で手に入れたのは不動産でもなければ家賃でもない。
心の安らぎであったのだ。
をはり
2025年4月5日(土)
