毎日こんな顔して働いている
2025年3月31日に不動産収入が手取りも含めて給与収入を上回ったことで、
働き方に徐々に変化が生じている。
もちろんいい変化だ。
勤め先では役員が昼飯を食って会社に経費を付け回しているのだが、
以前はこれに「恥を知れこのボケカス!」と、思っていたが、
どうでもよく思えてきた。
そもそも勤め先のビジネスモデルというか、
金融システムになりつつある、この業界のビジネスこれ自体が、
茶番であり、銀行の高齢者天下りポスト作りである。
また、有資格者の中でも能力が低い連中が寄り集まる界隈である。
さらに言えば、政府が低コストで「やってます!」の感じを出すための業界である。
その意味では、勤め先が税金の中抜きをやっているようなものだ。
そうは言っても、電通やら、大阪万博、竹中平蔵らのレントシーキング行為から
比べてみれば、まあ、ギリギリ政策としてアリだろう。
という、その程度のものだ。
個人的には欧米・大陸型の弱肉強食、早い者勝ち、勝者総取の世界の方が好きだが、
まあ、貸金業法改正、利息制限法厳格運用に伴う過払訴訟が社会に受け入れられる、日本にあっては、私の方が間違っているのだろうし、
私も若かったから自由、競争の価値観に染まっていたが、今思って見れば
私が弱者の側になることもあるわけだ。
息子らのうち誰かは弱者の側になることもある。
そう思うと、弱者に配慮した政治というのも、一概に悪とは言えない。
もはや、業界全体に対して物申したいことはない。
20数年メシを食わしてくれた業界ではあるから、それなりに感謝はしている。
特に大家業との相性は悪くない業界だ。
世話になった。
引き続き関わりたいとは思わないが、恨みもない。
勤め先に関してもそうだ。
特に社長には世話になった。
一流会社でドロップアウトした流れ者の転職者を採用して、厚遇して、
非常にうまく経営している。
私には無理だ。素直に尊敬する。
ただ、社長の次が誰になるかは知らんが、そいつらには恩はない。
むしろ逆。
3年前までは仲間だと思っていたが、露骨な指名解雇やら、
パワハラに至らないレベルのモラハラで解雇まがいの人事評価をされたことで、
完全に仲間だという意識はなくなった。
いや素直に人生と家族の敵だと認識している。


プリズン・ブレイクにおける、マイケルと、T・バックとの関係のようなものだ。
流れ上、一緒に脱獄するという目的があるものの、
脱獄したら敵対する。
そんな関係性だろう。
まあ、私は勤め人システムからの脱獄が目的なのだが、
社長の次の人材様たちは、勤め人を続けることが目的だ。
まあ、彼らも私と同じく、
40も過ぎて今さら転職してもロクなポジションには就けないだろうから、
しがみつくのも分かる。
昼飯代も会社に付ける程ケチくさいヤツらだ。
恥を知れ(まだ言ってる)。
勤め人の収入割合が減ると言うこと

家電の王様と言えばテレビだ。
家電と言えば松下電機、National、まあパナソニックである。
家電製品の売上のうち、テレビのシェアが高ければ、
テレビ事業部はまさに「花形部署」であろう。
肩で風を切って歩いているのは、その花形部署に所属する勤め人だ。
新入社員までアゴがクイっと上がっているだろう。
しかし、テレビなんてものは、今やスマホでもタブレットでも見られる。
PCに接続するディスプレイもある。
今や不採算事業となっているのだ。
パナソニックという巨大企業を、私個人のレベルに置き換えてみると、
勤め人事業・・・・年収の45%
不動産事業・・・・年収の55%
このような事業構造になっているのだが、
さて、これに対して、どの程度時間を割いているかと言うと、
勤め人事業には月曜日から金曜日の8時間以上、通勤を入れたら11時間である。
週55時間、月165時間の時間を費やしている。
一方不動産事業は1日1時間か2時間だ。
時間を製造原価でも仕入でもいいが、
金銭に置き換えてみたら良い。
不採算事業はどちらだろうか?
言うまでもない。
私にとって、
サラリーマンとして労働することは、もはやパナソニックにおける、
テレビ事業なのである。
不採算事業への対策は2つである。
改善するか、辞めるか?
勤め人を辞めて、収益性の高い事業に経営資源(労働力)を振り向けた方が良い。
ただ!
経営資源を大家業に振り向けて、事業拡大に資するかというと、
私の不動産事業はそうでもない。
勤め人を辞めて仮に1,000万円の売上が消えたとする。
突如不動産事業の売上がそれを補うように1,000万円増えたりはしないのである。
1,000万円の売上を作るには1億円の原資が必要だ。
とは言え、勤め人事業が不採算かと言えばそうではない。
依然、黒字なのである。
不動産事業との比較では赤字だが、黒字に違いない。
不動産事業80%、労働者事業20%となってくると、
話も変わってくるが、55-45、この程度の比率では、
撤退。との判断は必要ない。
とにかく、私の中での花形事業は
勤め人(労働者)事業から、大家業事業へ、
チェンジしたのである。
他の同僚は違うのだろうが、私はハッキリとそうなのだ。
返事は「はい」「分かりました」「ありがとうございます」
将来的に撤退が確定している勤め人事業。
この事業の特徴は、遅くとも60歳から65歳で「終わり」が確定していること。
さらに最悪なのが、
子孫に承継させられないこと。
この点が最悪だ。
給料をもらって、何の蓄積も得られない。
まあ、どんな仕事も3年もやれば1から10までできるものだ。
仕事を覚えてしまったら、後は惰性である。
私は10年以上勤務しているから、
ある程度は惰性で流すことができる。
脳の自動運転機能で回しておいて、温存した馬力で大家業を回している。
脳の中にAI秘書を作って「自動応答」状態にするのだ。
「はい、わかりました、ありがとうございます。
よろしくお願いします、お疲れ様でした。」
これらの言葉を自動的に発声する。
目立たぬように、空気になりきる。
笑顔も自然な「作り笑顔」をしておけばいい。
最重要なのは勤め人事業から生じる、「疲労、ストレス」を回避することだ。
ただ、これを勤め人として勤務する、
月165時間やり続けると言うのは、
かなりキツイことである。
感情を入れて仕事をしていたこともあったが、
結局何も残っちゃいない。
生活費を支払った後の給料を不動産に切り替えただけだった。
このワリキリができるようになれば、
人生はもっと軽やかに進むのだがしかし。
管理職(笑)から外れた以上は、空気になる
私は、意図的に外れたのだが、
私が退職勧奨を受けたのは、空気に徹し切れていないからだと思う。
無味無臭であるべきだったのに、
味もあれば臭みもある社員である。
例えば、
電車の中で大声を出していたら、
乗客はその大声を出している人物を警戒するだろう。
相手こそしないが、言動を注視する。
度が過ぎれば電車から叩き出す隙を伺う。
その一方で、通勤時間の大多数のサラリーマンのことは誰も覚えていない。
本を読んだり、スマホを見ているサラリーマンなど、
誰も気にしないのである。
つまり、そういうことだ。
通勤電車の満員電車でエロ動画を見ていたら、ダメだ。
オフィスでも全く同じだ。
業務を速やかに処理していくと、次々にアホな仕事が押し付けられる。
世の9割の管理職は、ちょっと仕事が出来た平社員か、
上にこびへつらうゴマすり女郎である。
個々人の適性に配慮した業務分担等、期待できないのだ。
劣ったアタマの勝手な判断を人に押し付けるだけの
無能な専制君主のようだ。
そんな連中の下に付けられるのが勤め人だ。
仕事を与えられたら、「10が納期だ」と言われたら、4で終われるとしても、
9まで待つ。9.5で納品する。
「品質は10」だ、と言われて、13にできるとしても、10で納品するのだ。
13を納品したら、次は標準品質が13になるだけだ。
ちなみに給料は全く増えない。
(但し、自分の商売でコレをやったら死ぬ)
勤め人を人生の中心に置かないと決めたら、
このマインドを忘れてはいけない。
無論、主流からは外れるだろう。
しかし、勤め先にとって主流でも、
自分自身にとっては、支流なのだ。
自分自身の本流に全力をぶつけるために、支流は適当に流れておけばいい。
そして、平均的な勤め人を、演じるのである。
言われもしないのに、提案などする必要はない。
経営者は「どんどん提案してくれ!」
などと言うが、提案してくれと依頼したと同時に約束すべき
「対価」については何も言わない。
要するにタダ働きをしろということだ。
そもそも、勤め先がイイと思うような提案ができるのであれば、
自分自身のビジネスで、その提案を採用すべきである。
なんで、お前らのためにタダでそのアイデアを提供しなければいかんのだ?あ?
という話である。
出る杭は、打たれるの。
仕事の成果はイマイチだが、クビにするほどでもない。
そんな働き方に徹しよう。
空気だ。
空気は必要なものだが、無味無臭である。
自分の味、においを出すのは自分のビジネス。
全力を尽くすのは、一族の繁栄と、一族のビジネスだ。
勤め人じゃない。
つづく