私のやり方は再現性がないのだ。

日々雑感

サラリーマンを定年まで勤めあげるのも才能だ。

司法試験を断念して勤め人になって早20年。
昭和生まれにとっては「当たり前のこと」
それは、毎日学校へ行く。
先生のいうことを聞く。
勉強する、部活をする。

教育とはカタにハメることであり、
目的は「勤め人」を育成することにある。

学校で教えていることは、
すなわち、先生(上司)の指示に従う訓練。
将来あまり役に立たないことも一生けん命勉強して好成績を出す。
(=どんなアホな指示にも従う練習)
団体行動などは勤め人のあるべき姿そのままである。

私は当たり前にこれらのことが出来る。
ちなみに、管理者養成学校という軍事訓練に参加したが、私は主席で卒業している。

すなわち、私は勤め人としては最高クラスの人材である。
有休消化は毎年ゼロだ。

そう考えてみると、息子のように毎日学校に行くだけで苦行だという人間を
目の当たりにして驚くのは必然である。
が、よく考えてみれば、彼からしてみれば、私のような人間こそ異常である。
そんなことを聖丁のツイートから実感した。

私から見ると50歳までメガバンクで働くことはそれほど大変なことではない。
しかし、こう言われてみると、異常人格なのかもしれない。

私もおそらく異常人格なのだと思う。
実際ツイッターには、「勤め人が勤まらない」人たちが跋扈しているし、
そもそも「勤め人が勤まる」人はツイッターなどやらない。
一方で社会は様々な人がおり、
どちらかというと高給勤め人は少数なのであるから、異常なのは、
私のように勤め人を続けられる方なのかもしれない。

勤め人一本で50過ぎて転職活動という、行き当たりばったり感

50代メガバンクの転職者の例から察するに、
私よりも10年早く社会に出たタイプではなかろうか。

私は就職氷河期世代であり、
ちょうど新卒の時に、都市銀行が3大メガバンクに集約された。
就職先が見つからず、ニートが社会にあふれた世代である。

そんな世代であるから、
会社に定年まで勤めるという発想自体が私たち世代にはない。

しかし、その10年前は、まだ終身雇用制という古き良き企業文化があった時代である。
30年経って、その制度が崩壊していることに気づいて、
慌てて50歳で転職活動をするというところが、世代的に「甘い」のかなと思ってしまう。

30年メガバンクに勤務していて、
自分が50歳で銀行をたたき出されるな・・・・。
という警戒感を持てなかったことがまず反省であろう。
年収1,500万円から500万円に下がることを想定して、
不動産を買い進めるなり、副業を構築するなり、資産形成をしておかねばならなかった。

記事を読む限り、そこまで深くは書いていなから、推測でしかないが、
こういう「逃げ切れなかった中年」は少なくないと思う。

とはいえ、私のやり方は再現性がない。アレンジ力(りょく)を発揮してほしい。

普遍的な作戦である、勤め人大家戦略であるが、
私自身は少々特殊な人間だと、つくづく思う。

ほとんどの投資家が一時期を勤め人大家という立場で過ごしていると思う。
それぞれの投資家に違いがあるのは当然だし、
スタイルは千差万別。
「勤め人をしながらまずは大家をやる」
という1点、エッセンスであるこの一点のみを抽出して、
まずはやってみてほしい。

その後
〇 やっぱ不動産向いてない。
〇 専業大家目指す!
〇 勤め人と並走する!

など、それぞれの生き方を決めていけばよい。
私は勤め人適性が異常に高く、
優良企業に滑り込んだし、
家でダラダラして太って死ぬと思うから、
むしろ積極的に勤め人をやりたいと思う。
多分今の会社を追われても、
給料が下がったとしても、雇われて働くと思う。
ひょっとしたら60歳を過ぎても、
運動に良いという理由で警備員もしているかもしれない。

つくづく私は勤め人体質である。

まったく再現性がない男である。

つづく