東京は先進的なのか?田舎は遅れているのか?

資本主義の分析

地方出身東京生活者として

都市には人が集まる。
私は大卒勤め人という世界でしか生きたことがないので、
気が付かなかったが、
高卒もしくはFラン大学卒で東京に来るという人生もある。
確かにある。
そしてその数は私が認識しているよりもはるかに多いのだ。

同僚の学歴は
〇慶応義塾大
〇早稲田大
〇上智大
〇青山学院大
〇大阪大学



〇高知大学

そんなわけはない。
私は狭い世界で生きている。

20代のうちは比較的標準的な学歴の社員が多かったが、
転職するたびに社員の平均的な学歴が上がり、
今の勤め先は高学歴だ。
肩身が狭い。

学歴というものは勤め人をやるうえではかなり重要だ。
学歴は人には聞かないものの、
人事は把握している。
人事から上司は聞いている。
上司が知っていれば部下にも伝わる。
公然の秘密である。

しかしだな、
社会の8割は「じゃない方」である。
「じゃない方」が多いのだから、
高学歴の方が「じゃないほう」であろう。

私がそれを知ったのは、
「仕事を通じて」である。
債権回収・企業再生(債権でアプローチする再生とは債権回収と同義だ)で
相手をする「債務者」を通じてである。
借金をする人の知能の低さに愕然とする。

中には高学歴もいるにはいるが、
それは少数派だから目立つのである。

住宅ローン申込書には勤務先を記入する欄があるので、
回収する際にはそれにも目を通す。
特定の傾向がみられる。
それは「一流企業はあまりいない」ということだ。

学歴なんてものは関係ない。
と、私も言いたいのだが、
厳然として存在する事実の前には
私は自分の主張を引っ込めざるを得ない。

更にだ。

大家業を通じて、
入居者がやはりそうだ。

家賃の滞納なんてカマすヤツは大体どうしようもない。
どうしようもない人間がどんな仕事をしてるのか?
全く残念なお話だが、聞いたこともない中小企業の勤め人。
それも辞めてしまって払えなくなって、ゴミ屋敷。
そんなパターンしかない。

学歴や経歴って奴は極めて信用できるのだ。

そんな風に高学歴・低学歴、大企業から中小企業、
借金の延滞、貸家を通じてみてきたうえの話だ。

これを前提として筆を進める。

常に新しいことは東京で始まり、消化され、良いものだけが地方で定着する。

東京には優秀な人間からギリギリの生活の人まで、幅広く集まる。
しかし、成功するのは一部の優秀な人間だけだ。
特にさしたる能力もないままに地方から出てきたヤツは東京に搾取されて終わりだ。
消耗する。

ひたすらに消耗戦だ。

そんな消耗戦をしている者が親になると、
子供をしっかり世話できなくなり、
トーヨコキッズが生まれる。
トーヨコキッズは女であれば若いだけで価値が高いから、
それを換金されてしまう。

ホストに売掛けで風俗である。
本心では愛情が満たされていないことがわかるから、
その虚しさを埋めるためにオーバードーズである。

そもそも精神が脆弱であることが問題だ。
オーバードーズキッズたちは多分田舎に生まれても
生きづらさを感じて東京に吸い寄せられて、
最終的に消耗して滅びるのだろう。

トーヨコキッズみたいな現象は田舎では起きない。
伝統的な村がそんなことはおこさない。
渋谷がやっと重い腰を上げて、
ハロウィンのバカ騒ぎを規制しだしたが、
あんなものは田舎では即刻排除である。

私の田舎は面積こそ世田谷区並みだが、人口は5,000人である。
監視が行き届く社会だ。

すべて、東京(大都市)で始まる。
良いものも悪いモノもである。

それが「かみ砕かれて」「消化される」
本当に良い技術だけが、地方で吸収される。

特に田舎まで浸透するものは
「本物」である。
田舎まで展開している商品・サービスは「認められた」ものだと思う。
つい最近、田舎の親父が携帯電話を持ったが、
田舎にはそういう排他的なところがある。
しかし、本当にいいモノしか地方には浸透できない。
そう考えてみると、田舎は懐が深いと言える。
遅れているのかもしれないが、
必要なものだけが浸透する社会だと言える。

本質を見る目がない人にとっては、
東京は商品、文化、サービス過剰である。
疲れてしまう。
あえて地方に住んで目にするもの、耳にするものを限定するのはいい戦略かもしれない。

地方に居住していても、
現代では東京の状況はある程度分かる。
消耗を避けて情報汚染を避けつつ、
東京に田舎でも通用する商品を売るのがベストの布陣かもしれない。

東京で消耗する勤め人になってはいけない

私がまさにそうだったが、
25歳で就職して、月給28万円、手取りは21万円くらいだった。
そこから8万円の家賃を払って、13万円で日々生活する。
それでも5万円を歯を食いしばって貯金していた。

8万円で1か月を過ごしていた。
すべてカネがかかる。

家賃で回収されて、食費で回収される。
さらに娯楽が提供されて根こそぎもっていかれるのだ。
更に足りなければ借金(カードローン)だ。

田舎ではタダみたいな家賃で、食費は自給自足である。
娯楽もない。
安月給でも残るカネが違う。

ちなみにだ。

今、私の娯楽はSteamのゲームくらいしかないので、
厳密にいうと東京で働く意味はない。
田舎でソコソコの勤め人と大家をやりながら生きていけばそれでいいと思う。
今のネット環境であれば、映画、音楽、漫画もネットで足りる。
読書もネットだ。
骨のある本だけは専門ルートで手に入れる必要もあるが、
恐ろしいことにアマゾンにある程度そろっている。

東京の大学図書館にしかないような書籍はそれこそ年に1回
「欲しい」と思う程度なので、その都度上京すればいい。

東京にいてもいいが、
平均的な給料しか稼げないのであれば、
田舎に引っ込んでそこで勤め人をしつつ、
副業+大家をした方が早い。

東京で子育てして、共働きで子供に十分な愛情を注げないと、
子供はトーヨコキッズでオーバードーズである。
要するに都市のネズミだ。

資産形成をするにも東京は高い。
うまく、人が多い場所でしか成立しない商売でさっさと稼げるならいいが、
子育てに注力しなければならない時期(30代~40代、もっと早い方がいいが)まで
うだつの上がらない勤め人だけしているようなら、
見切りをつけたほうがいい。

独身で稼ぎを使い切るような人の遺伝子も同様に滅びの道をたどっている。

東京は先進的だが、毒が多い。毒物が毒物として処理される。
田舎は遅れているのかもしれないが、先に進んで毒を飲む必要はないのである。
村社会システムが厳しいのは確かにそうだが、
社会を形成して社会の中で生きるのが人間なのだ。
人間力を高めて田舎社会に入り込むことが大事だ。

田舎が嫌で東京に出るなんてのは最悪だ。
要するに私は最悪だ。
遠回りをした。
仙台あたりの地方として豪族化の道を最初から選んでいたら
もっと楽な人生だったと思う。

それでも東京と千葉に貸家が増えて、
千葉にビルを有する妻と巡り合ったので、千葉を拠点に据える。
私は東京に敗れたのかもしれない。
しかし東京で勝負しようとは思わないし、
息子たちは千葉あたりから、東京のありようを見つつ、
堅実に足場を固めるような生き方を提案したいと思う。

をはり