有名になりたい人々

日々雑感

私も昔はそんな心があった。

「影響力」という販促ツールがある。
尊敬する聖丁もこの影響力をビジネスに組み込み、効果的に活用している。

また、不動産投資家の中にも
不動産賃貸だけで十分なCFを得ているにも関わらず、
影響力を得るために、情報発信を続けている人も多い。

今日はそんな心理状態について考察してみたい。

実は私も有名になりたい!
という気持ちがなかったわけでもない。
他の人よりはその情熱が低いことは確かであるが、
この欲求がゼロではなかった。

この、有名になりたい!
という気持ちとは一体何なのか?

有名になりたい心理には2種類の背景があると思う。

2つとは、
① 純粋にビジネスに利用したい。
② 人間の本能としての承認欲求。

この2つである。
Yahooニュースのコメント欄に書き込む心理は②である。
「社会において自分が存在してもいいのだ」
という承認欲求は、人間が社会的な動物であることの自然な発露であるとされる。

そもそも人間は組織、集団を形成しなければ生存自体が不可能である、
そんな弱い生き物である。
試しに森の中に1人で生きることを想像してみれば良い。
日本の森にも多数の危険な動物がいる。

特に熊などと出くわしたりしたら、
格闘能力という点で明らかに我々人間は劣る。
オオカミは絶滅させることができたが、
恐らく一人ではオオカミの群れに食われる。

集団を組織しなければ生きられない人間であるからこそ、
人間はその本能に「承認欲求」が刻み込まれている。

①のケースは単純に自分の商売に利用したい
という合理的な計算に基づくと思う。
SNSを活用して、影響力を持ち、信用を利用して、
適正な商品を売ることができる。
この点をきちんと理解して商売ができれば、
実に面白いことになる。

バランスシート上ではゼロだが、
「影響力」「信用」というものには絶大な力があると言える。
なにしろ、広告宣伝費というコストを払わずに、
売上を作ることができるのである。
素晴らしいとしか言いようがない。

承認欲求の発露としての「有名になりたい」からはいち早く脱却すべきだ

生物的本能としての「承認欲求」の発露としての「有名になりたい」
という感覚からはいち早く脱却しなければならない。

飲酒や、喫煙、ドラッグと何ら変わらないものだからである。
生物的本能としての性欲のままに社会で生きたならば、
強姦の末に刑務所にぶち込まれるだろう。

本能の奴隷になるのが人間ではない。
本能を適切に制御することこそ人間のあるべき姿なのだ。
承認欲求が、
自分の「有名になりたい」というと言う、
本能の要請である点に気づいてしまえば、
制御は容易になる。

私もこの点に気が付いて、
承認欲求の発露としての「有名になりたい」を無力化することができた。

人間は存在しているだけで価値がある。
何も多数の他人から承認されなくても十分なのだ。

例えば引きこもりニートの50歳だとしても、
親がいれば子供が存在してくれるだけでありがたいと思うであろう。
引きこもりニートで生活保護で生きていたとしても、
生活保護を受給して、スーパーで弁当を買っても、
弁当を作った人、弁当の材料を作った人のためにお金を回したことになる。
人間には存在しているだけで価値がある。
無価値な人間など存在しないのである。

(そもそも有名になって良いことは少ない。無名なままで資産家になる方がずっと楽しいと思うが)

つづく