新年のごあいさつ

日々雑感

昨年義父が他界したのでご挨拶のみにて

昨年は私の本厄年に当たり、
世界の皆様に新型コロナウィルスを蔓延させ、
東京オリンピックを中止に追い込んだSATです。
本当にすまん、と思います。

義父を殺してしまい、
1,300万円程追加納税が発生したとんでもない1年となりました。

今年も後厄年で、
年初から緊急事態宣言が出るという波乱のスタートを国民の皆様にお届けしています。
全国の43歳(数え年)の男性を代表して心からお詫び申し上げます。

勤め人+アルファの総仕上げ

世の中にはポールさん、ふんどし王子、聖帝と言った、
若くして豊かに勤め人を卒業した人々がたくさんいます。

今さら私が何かを言うまでもなく、
「勤め人卒業してニート」
への道は万人に開かれたと言っても過言ではない状況。

かかる状況下、私があえて情報を発信する意味もなくなってきたのですが、
近い将来私も40代ニートになりたいので、
その暇つぶしの手段として、ブログとTwitterだけシコシコ更新していこうと思います。
コロナだろうが、平時だろうが、
私はあまり人と会いたくありません。
妻と子供3人で十分(むしろ持て余す)。
細々と慎ましく生きていきたいと思います。

さて。
今後45歳までには勤め人卒業を考えています。
今年(42歳)は後厄年なので、昨年同様大人しくしていようと思います。
思えば前厄年には曾祖母が他界(104歳?)しました。
前も本も後も厄年は新しいことを始めるのではなく、
今持っているモノを棚卸すべき時だと思います。

これからは知能も身体も衰える一方ですから、
何かを始めるよりも減らしていく方向で人生を再設計していきたいと思います。
そのスタートがまさに、勤め人です。

当然、不動産事業一本で勤め人の稼ぎを上回っていかねばいけません。
それをどう実現していくか?
それが問題です。

長男は中学受験中ですし、息子3人とも中学受験するともなれば
中途半端な年収では足りません。
果たしてあと4年弱で勤め人卒業までこぎつけられるのでしょうか?

大体私と妻で手取り500万円程度の給料が取れるようなビジネスまで
拡大できればいいかなと思っています。
贅沢をせず、車も家もなければ不可能ではないでしょう。

5億円程度の不動産を持ち、10%で回し、返済比率が50%だと、
手残りは2,500万円。
運営コスト20%引いて、1,500万円。
粗い試算だと、この程度で事業としては十分回ると思うので、
このラインをベースに資産を拡大していく必要があるでしょう。
これが私の中期の経営計画となります。

私の勤め人+アルファは非現実的になってしまった。

残念ながら、私の勤め人+アルファの生き方は多くの人にとっては参考にならない。
33歳頃までの私であれば、年収500万円+嫁年収400万円+不動産家賃300万円という、
まあまあ多くの人が実践可能な水準だった。
しかし、私はその後、転職戦略を駆使して勤め人年収を上げながら、
妻が専業主婦化。
子供が高コスト化(私立中学受験)していくという、
勤め人が陥りがちな沼に足がめり込んで行った。

なおかつ、高年収勤め人であれば当然取るべき戦略
(多額の借入を使った事業拡大)を一切取らずに、
戸建ボロ物件(それも都内および近郊)の現金投資という戦略を取った。

正直あまり賢い生き方だとは思えない。
今振り返ってみれば、取るべき戦略を取らずに自分の感覚だけでやってきたなーと反省である。

その「ねじれ」がまさに昨年の税務調査と5年分の修正申告という結果に繋がっていると思う。
35歳くらいから、納税する方針に切り替えていれば今頃自分が本来目指すべき戦法
(多額の借入を使った事業拡大)が成功していたはずである。情けない話だ。

融資情勢も今は勤め人には厳しいので、
タイミングも逃した感がある。
色々ズレちゃってるのだ。
よって、これからの人はあまり私の戦法を参考にしてはならない。

低年収ならば地方戸建投資。
高年収ならばレバレッジ。
まずは定石を打っていくとよいだろう。

今さらハイスぺ勤め人の卒業ルートを歩き出す。

私の今の信用状況は、
高額の投資物件を売りたい営業マンのドストライクである。
スルガ前の状況であれば3億円程度はスッと借りられたと思う。

しかし、私が単なる高年収勤め人と違うのは、
既に14件もの収益物件を保有していて、法人も5期目にあることだ。
高年収勤め人でありながら、小さいながらも5期連続黒字の法人の経営もしている点が違う。

業者の言いなりになってシェアハウス8%を買ってしまったり、
タテル君をハメ込まれたり、シノケンの営業マンに説得されることは100%ない。

その意味で私の辿った「借りられない投資家」としての経験は
これからハイスぺ型(もぎじゅんさん@mogi_jun)の卒業戦略に方向転換するにあたっても無駄ではなかったと思う。

低年収 サラ金 子会社勤め人から出発して、
高年収ハイスぺリーマン+大家になって、そのあまりに豊かな生活に長く安住し過ぎた。

このままぬるーく50歳くらいまでダラダラ行くのが多分正解なんだと思うし、
妻もそれを望んでいるだろう。

だがしかし、
私はさらにヌルい人生を目指す。
やわやわの福岡のうどんのような人間に、俺はなる!

つづく