吉良吉影、存在感が薄い男
まさに勤め先で今、私が目指しているポジション。これが吉良だ。
昨年は良い人になろうとして、
悪意をもっているヤツらに気が付かず、陥れられる寸前だった。
全く悪い連中だ。
ひょっとしたら在日朝鮮人かCHINAの帰化人かもしれん。
恐ろしい話だ。
政府のカネを預かる仕事をする企業は社員の国籍チェックをするべきだと思うのだが、
どうなのだろうか。知らんけど。
天才上司君たちの仕事ぶりも私に負けず劣らず、えげつない。
仕事の合間に整体に行って戻ってきて仕事をしてみたり、
午後は在宅勤務と称して帰宅してみたり、
プレイングマネージャーヅラして期限厳守の仕事をオーバーしてみたり。
なかなかエグイ。
マネジメントチームのミーティングと称して、会社のカネで飯を食ったかと思ったら、
社員には爪の垢ほどの施しもない。
昼飯も自腹だ。誘っておいて自腹。
私はそういう教育を受けていない。
というか恥ずかしくてそんなことできん。
局部を丸出しにして歩くに近いプレイだ。
さて、私は徐々に気を消している。
別に何か成果を期待されているわけでもないのがヒシヒシと感じる。
こいつやめろよ。
と、思われている空気も感じる。
まあ、私のようにやる気を喪失させられて、
機を消している中年と、無能な上司だとどちらが有害かと言えば、
圧倒的に後者なわけだが。
もはや私は勤め人人生の最終コーナーを回った状態なので、
こんな劣悪な雰囲気の中に居ても、全く気にならない。
逆にガッツリパワハラでもしてくれた方が、
色々やりやすいのだが、それはしない。
いい時代になったものだ。
勤め人には豊かになることは許されていない
勤め人になる。と、決めた時点で確定した未来がある。
それは金持ちになることは原則不可能。
例外的に投資や副業によって経済的豊かさを享受できるに過ぎない。
生活に必要な最低限、つまり労働力回復に必要な最小限のコストのみを受け取る。
労働力としての価値が期待できなくなる年齢を60、65歳と決められる。
この枠内で、優秀な人材、成長、自己啓発などをさせられる。
コップの中の嵐みたいなものだ。
それでも豊かさのキャップをかぶせられた状態であるから、
身分保障がある。
一部の企業だけが、豊かになるだけの給与を貰えるのだが、
その門戸は極めて狭い。
総合商社みたいなところだな。
とは言え、そんな企業にうまく滑り込めたとしても、
消費の罠にかかって、消費させられて、豊かになることが出来ない者も多い。
どうしたって、副業で当てるしか、この狭い世界から抜け出ることは不可能なのだ。
私の場合にはたまたま、不動産で勝つと決めたのだが、
それは上記のような俯瞰した視点をもっていたからではない。
単に、勤め人の稼ぎが悪かったからそれを補完しようとして始めたに過ぎず、
一段視座を上げることが出来たのは、聖丁の登場を待たなければならなかった。
勤め人年収を上げるゲームに汲々としながら、
高い家賃を払って東京のど真ん中に居住したり、
クッソ高いマンションを購入しているエリート達。
彼らは別の世界線の私なのである。
決して彼らを笑うことはできない。
豊かになるにはどうしたって、事業をからめて、労働力再生産の罠、
金持ち父さんが言うところのラットレースから抜け出さなければならんのである。
勤め人とは、その存在自体、豊かになることを許されていない身分なのである。
豊かになるとは経済的自由を達成するということだ。
勤め人世界にあふれる美辞麗句
社員は家族、チームワーク、信頼、尊敬、尊重。
非常にご立派な言葉である。
しかしながらこれは効率的に労働力を、限界を超えて引き出すための方便である。
特に競争が苛烈な業界は、限界を超えた労働力の提供を受けなければ
利益が出せない仕組みになっている。
やりがい搾取である。
他社の役に立ちたいという人間の本能を搾取する行為である。
搾取というのは、取引のバランスが悪いということだ。
提供した労働力に見合った給与額が支払われており、
それを当事者が納得していれば搾取ではない。
しかしバランスが崩れてしまえば、それは搾取となる。
逆に労働法制を逆手に取って、勤務先を搾取する場合もある。
その搾取を許し続けると、早晩、勤め先は倒産することになる。
結果、労働者を効率的に搾取することがうまい企業が生き残り、
その企業を真似た企業も、労働力を対価以上に搾取するようになるから、
資本主義制度を採用していればブラックな企業が増加していくことになる。
資本主義の原罪である。
美辞麗句の嘘に気づいたら、そのシステムを変えたくなるのが人情だが、
いかんせん、数世紀もの歴史があり、共産主義にも勝利した資本主義をアップデートするのはほぼ不可能だ。
資本主義の更新を狙うよりも、資本主義は所与の上限であるとして、
搾取される側から、搾取する側に回るのが良い。
大家業も搾取の典型である。
家を買えない層の貧困層から労働力の対価として得たキャッシュを吸い上げて
のうのうと生きているのであるから、これは資本家側である。
まさに搾取する側だ。
美辞麗句は「入居者のため」「住環境の提供」「空き家の再生」である。
まあ、どっち側に転んだとしても欺瞞である。
が、同じ欺瞞と共に生きるならば、搾取される側ではなく、搾取する側の方が良い。
晴れて、資本家側の収入が多くなった今
二足のわらじという言葉があるが、
私もまさに労働者と資本家、二足のわらじを履いてここまでやってきた。
資本家側の片方がやっと労働者側よりも立派になってきたところだ。
次のステップは、完全に労働者側のわらじを脱ぎ捨てることである。
勤め先は一生懸命労働する連中が集まった組織体である。
そんな組織体にあっては、私はまさに異物である。
理解が及ばない異物。
さきほど喫煙室で、パットとしない勤め人2名が、トランプやらイーロン・マスクについて
ああだこうだと言っていた。
笑ってしまう。
オスとして、経営者として、金も女も究めたリーダーシップの塊のような二人を、
極東の島国で勤め人をしている2名が語るなど、なんと滑稽なザマではないか。
彼らからしてみればプランクトンか、
若しくはイワシである。
そんなウダツが上がらなそうな勤め人2名。
ホワイトハウスに行って働いたら36時間も持たないであろう。
私もまさに同じようなものだ。
異物は排除される運命にある。
それが60歳か、明日かの違いでる。
それに必死で抵抗するのはやめだ。
抵抗には力が要る。
私はもういらないから捨てようとしているものを、
法にのっとって捨てさせようと努力している。
喜んで、私はこの立場を手放す。
をはり