子孫と資産どちらが大事か?

相続・教育・次世代

クダラナイ質問

私と仕事!どっちが大事なのよ!
という、ありがちなパートナーからの批判。

右腕と左腕どっちを切り落としたらいいか?
という反社会的勢力による脅しと全く同一である。

子供に精神的虐待をしておきながら、
暴力はダメというのと似ている。

物理的な暴力も、精神的な暴力もダメだ。
ただし、子供が物理的な暴力を加えてきたら、
軽度の物理的暴力で教育的対抗をすることは許容されていると思う。
同様に、子供が精神的な暴力を加えてきたら、
軽度の精神的応力で教育的対抗措置を講じることは問題ない。

子孫と資産。
読み方は似ているが、これらも同様に車輪の両輪である。
そもそも両方充足する必要があるという結論は変わらない。

子供を授かることが出来ない人もいる。
その場合には親戚の子供でも構わないと思う。
特に自分の兄弟の子というものは、
DNAの半分は自分とも類似性がある。
代替しても差支えないと思う。

親戚にも子供がいない!という人までは残念ながらカバーできない。
もう養子でも構わんのではないか?
人類という意味でのDNAは継承できる。

とにかくどちらが大事とか、言い切るのはナンセンスだ。
心臓と肺、どっちが大事かというようなものだ。
どっちもないとダメ。

それでも、敢えて、言うならば子孫一択である

現代人の恐ろしいところは、
この選択を間違えるところである。

生物として、最も重要なことは、
遺伝子の拡散である。
自分の子供がたくさん生まれて、
その子供が孫を作って、
と、拡散していくことが究極の目標である。

しかし、現代人の恐ろしいところは、
「子供一人に教育費総額2,000万円!!!」
と、言われると、出産を抑制するのだ!!!!

その辺にいる野良猫はそんなことは全く気にしない。
発情期になれば交尾して増殖する。
産まれたら何とか育てる。
それだけだ。

現代人は賢くなったのだろうか?
私は野良猫よりもバカになったと思う。

別に教育費を使わなければいいではないか?
義務教育までやって、地元の公立高校でも出たら、
「あとは頑張れ!応援するぜ!」
その程度でいいだろう。
多分2,000万円もかからない。

自分1世代が経済的自由、勤め人卒業をしたいというエゴで、
子供を作らず、末代様として滅びると言うのは、
何とも馬鹿げた話である。

そういう意味で、投資も結構だが、
子孫繁栄こそが優先順位が高い。

私個人としては確かに勤め人はやめたいが、
仮に、絶世の美女、かつ頭脳明晰、体力最強の女性が
私との子供をもうけたいという話があったら、
それを断るのは難しい。
その場合には、勤め人を定年まで継続しつつ、
財産分与で半減した資産を再構築しながら、
頑張ることになる。
(但し、そんな仮定は現実的ではなく、若い息子達の方が、より優位な遺伝子の拡散をしてくれる可能性が高いから、中途半端な女性では意味がない)

選ぶとしたら、遺伝子の拡散。
生物としての正解を選ぶのが正しい。

このオ〇ンポ騎士団野郎!

この批判は、甘んじて受けなければならない。
妻の目にこの記事が止まったとしたら、
詳細な説明を行わなければいけないことも、言うまでもない。

しかし、その批判を受けるとしても、
私は言わざるを得ない。

生物としての正解に従うべきなのだ。と。
そうやって正解を繋いできたからこそ、
私も、私をオチ〇ポ騎士団と批判するあなたも、
今、ここに存在しているのである。

子供一人につき2,000万円だから
いりません。
という人は、末代様として消える。
即ち、間違っているから、消えるのだ。

子孫繁栄、遺伝子拡散は生物として宿命づけられている。
その意味で、LGBTだかなんだか知らんが、
そんなイデオロギーをありがたがるような国家は滅びるだろう。

厳にヨーロッパの白人達は緩慢なる民族の自殺を遂行していると思う。

そして、大事なことだが、
この遺伝子の拡散戦略に従い、
子供、孫の成長に協力しようと言う意思、行動を起こすことは、
私個人に取っても大いにメリットがある。

私が末代様で、子供も、何もいなかったとする。
私は既に生きがいを失ってしまう。
もう自暴自棄、消えゆく性欲に踊らされるか?
はたまた、オスとしての闘争本能に踊らされてギャンブル中毒者になるか?
快楽主義に走って飲酒により内臓と脳を失うまで痛飲するか?

そんな自滅的な末路を迎えていた可能性が高い。

繫栄と成長を自己1代に終わらせることなく、
子の世代、孫の世代と見据えることで、
自分1代の人生も充実させることができると思う次第である。
徳川家康があの戦国時代を、苛烈なストレスを抱えながら長寿で走り抜けられたのも、
徳川家の治世、数百年先まで見据えていたからである。
と、思うのである。

男系男子による家督相続は、本家、一本では滅亡を迎える。
歴史にも学んだであろう家康は、
紀伊、水戸、尾張にも徳川家の別家を立てた。
その危機感は的中したし、
仮に徳川宗家しかなかったら、戦国時代へ逆戻り!
(特に伊達政宗あたりが黙っていなかったかもしれん)
なんてシナリオも当然あり得た。

リアリズムの極みである戦国時代。
この時代を制した徳川家康公のように生きねばならん。
将来私の子孫のどこかの世代では、
また、戦国時代のようなリアリズムに直面する世代があるかもしれない。
資産など全て霧消してしまう、グレートリセットイベントもあり得るだろう。
そう考えると、
資産形成なんてもんは、
今、一時だけの泡沫の夢の時代なのかもしれぬ。

遺伝子と家訓、先天と後天。
どちらも大切に残り半分の人生を生き尽くしたいものだ。

をはり