大きな問題で小さな問題を忘れるという戦術

心構え

古来から多用されていた戦術であり、本能の問題

大金持ちでも貧乏人でも悩みはいつも存在する。

大金持ちには金(カネ)では解決できない悩みを持っている。
高学歴、キラキラのキャリア、幸せな家庭を持つ男(女)がいたとしても、
彼はある悩みを抱えているかもしれない。

他人からもっと認められたい。
その結果政治家へ転身して、買わぬでも良い苦労を買ってしまう。
政治の世界は学歴と勤め人のルールが通用しない側面があり、
挫折する。
政治のストレスから不倫問題を起こしてしまい、
全てを失ってしまう。

具体的な人物が思い浮かんでしまう。

貧乏人は大体カネの問題で一生を終える。

人は常に何かしらの問題を抱えているのである。
これは石器時代から現代にいたるまで、
人類が進化してきた脳の働きによるものである。

具体的に言うと、
茂みが「ガザガザ」っと音を立てたとする。

これに対して、2種類の反応をする人間を想定しよう。

A まあ、風だろう、猿かもしれないけど、大したことないわ。
B 危険だ!トラかもしれない、ナイフを準備して飛び掛かってきたら対抗するぞ!

この場合、茂みのガサガサが風のせいだった場合。
AとBは両方生き残る。

しかし、茂みのガサガサが虎であった場合、別の部族の襲撃だった場合。
Aは死ぬ、Bは生き残る可能性がある。

このように、悲観的に考えて、リスクを常に警戒する個体ほど、
生存し、繁殖していくことになるわけだ。
楽観的な個体は死ぬ、悲観的な個体が生きる。
結果、悲観的・リスク警戒的な個体が現代も多数、生き残っている。

特に温暖な気候のエリアでは、悲観的でも死ぬことはない。
食べ物がそこら中にあるのだ。
病気に対する抵抗力さえあれば、木の実もあるし、
小動物も多いから、飢え死にすることはない。

しかし、寒冷地ではそうはいかない。
悲観的・警戒的に「冬に備える」戦略がないと、死ぬのだ。
欧州、さらに北欧のような寒冷地では
食料を備蓄する必要もあるし、計画的に警戒できる人が多い。
結果として、経済発展が早かったのかもしれない。

そのように悲観的な思考回路をDNAに刻み込まれた私達なので、
どんなに幸福な状態であっても、
常に問題を探してしまう。

何か危険が起きるのではないか?
暴落するんじゃないか?
戦争が起きるんじゃないか?

などなど。

結局いつまでも問題は消えないのである。

私の問題意識

私事で恐縮であるが、
私もかなり大きな個人的問題を抱えていた。
34歳頃から43歳頃までの10年だろうか。

常に10年間、絶えず、最大の問題であり続けたことがある。
具体的には書かないが、仮に重病だとしようか。
この重病のおかげで常に24時間365日、一生けん命、食事、運動、睡眠に気を遣っていた。
子供も育てていかねばならないから、
勤め人も続けなければならないし、
大家業も拡大していかないとダメだ。
必死のパッチである。

この最大の問題に対処することで、
小さな問題が置き去りにされるのである。

具体的には
〇 長男の暴君化
〇 仕事のストレスが蓄積されていることに気が付かない
〇 勤め人にしがみつくあまり、大家業の拡大が遅れる

などなど。

本能的な将来への警戒感・恐怖によって、
全身全霊で問題への対処に取り組むことができるわけだが、
小さな問題が放置されてきたのである。

小さな問題を放置するメリットも確かにある。
実際、気にしなくていいことを、気にしないで済む。
これは大きなメリットだ。

〇 長男の暴君化はそもそも彼の性格で、私にどうこうできる問題ではない。
〇 仕事のストレスも過食による健康被害程度であり、健康に支障が出なければ問題ない。
〇 大家業を急ピッチで拡大しなくても十分な資産はある。

つまり大きな問題が存在することで、
小さな問題(放置しても問題ないレベルであれば)が見えなくなり、
余計な心配をしなくて済むというメリットである。

私が34歳から43歳頃まで抱えていた問題というヤツは、
小さな問題や矛盾を覆い隠したまま、
全力で走るために、いい役割を果たしたのかもしれないという訳だ。

巷でよく言われるように、
小さな持病が1つあると、逆に長生きするというヤツだ。

生まれつき健康な人が、医者に行かずに、
突然脳梗塞やら心筋梗塞などの循環器の疾患で一撃必殺されるケースは多い。
普段から、持病があることで、食事・運動・ストレスに気を付けるようになって、
定期的に医者へも行く。
この結果、かなり長生きしてしまうというアレである。

問題が片付くと、小問題に目が行ってしまうのだ

人類の本能、DNAに内蔵された、過剰警戒システム。
そして、大きな問題が解決したこと。
さらに、妻が不動産を相続して、世帯不動産CFが付き100万円を超えたこと。
これらの要因が、厄年が終わったあたりに一気に片付いてしまった。

これが43歳時点の話である。

こうなってくると、
1位の大問題が解決
2位の経済的問題が解決

3位の勤め人のストレス

3位が1位に繰り上げ当選するである。
実際1位と2位の問題が解決すると、
本来、自分で自分の問題を設定して、「1位」とすべきなのに
「勤め人の仕事」がドンドン割り込んできて、
勝手に「1位」に居座り始めるのである。

思い起こせば2年前までは、
勤め人の仕事に対しては考える暇がなかった。

もっと大きな2つの問題が居座っていたから、
勤め人の仕事の問題など気にする必要がなかったのである。

大きな2つの問題が妻のおかげで解決してしまったから、
その問題が解決した隙間に、勤め先の仕事が浸食してきたのであろう。
それを一時は受け入れてしまった自分が悪い。

「その空いたスペース」に対して、優先的に自分のすべきことを
ねじ込まなければならなかったのである。

今、私は近視眼的に「勤め先のストレス」だけに目が向いてしまっている。
こんなものは返す刀で斬って捨てればいいのである。

より大きな問題は、私が「自分の人生の課題」の設定が甘かったのだ。

反省しなければならない。
勤務先のストレスで休職戦略を取ろうなんて考えている場合ではない。
そんなアホな戦略を考えるまでもなく、

「いえ、私には優先すべき課題があるので、これ以上は引き受けられません」
と、断るのだ。

今、私がもっともやらなければならない課題は!!!!!
「休むこと」である。
有休休暇が30日以上余っているので、12月までに全部消化する!!!!!

をはり