勤め人継続の計

日々雑感

平和に日々を過ごしている

カネ、女、子孫繁栄の全てを手に入れた勤め人大家のSATです。
こんにちわ。

さて、コロナ禍で直撃業種の皆さんが青息吐息の中ですが、
私は元気です。
Twitterは殆んど発信していませんが、
それは何も書くことがないということです。

よもや勤め人の仕事の内容をつぶやくことはできませぬ故。
毎日リモートワークをしたり、出張したりしています。

聖丁は「男子の本懐はカネと女と時間の自由である」
と喝破しました。
私は既に手に入れてしまったのですが、
第三の幸せの要素である、自由だけは手に入れていない状態です。
それは即ち勤め人卒業でありますが…。

もうしばらく勤め人を続けてもいい気がしてきた。

私は税務署も認めるハイスぺ勤め人となった。
ヒラであるが、
私の「勤め人センスが」あまりに素晴らしいので、
うまく勤め人社会を渡ってきて
世間からみたらハイスぺなのであります。

オマケにホワイト企業でもあるし、
社会的意義のある仕事でもある。

しかし、大家で同額を稼げればそちらの方が楽なのは間違いない。
だが、専業大家で家賃CF3,000万円になってしまったら、
私は毎日何をしたらいいのか全く見当がつかない。

コロナを原因としたリモートワークをして気づいてしまったかもしれない。
ホワイト勤め人をしながらでも、
読書もできるし、運動もできる。
ブログもボチボチ書ける。
これ以上自由が与えられてもゲームくらいしかすることがない。

銀行はカネを貸してくれないし、
焦って勤め人卒業を目指す必要もなく、
高給を取りながら不動産の家賃を得てブラブラ暮らして、それでいいのではなかろうか。

今十分に経済的に満ち足りており、
自由もあるのだから、無理にニートになっても、堕落するだけな気がする。

最大の問題は「勤め人をやめてまでやりたいことがない」ということ

聖丁の場合には勤め人の生活に我慢ならん!
という強烈なる問題意識があったと思う。

枳棘(ききょく)は鸞鳳(らんぽう)の棲む所に非ず

という言葉がある。
聖丁のような帝王の星の下に産まれた逸物であれば、
勤め人という立場には我慢ならぬだろうし、
また不適切ですらある。
しかし、資本主義のニワトリたる私ゴトキは、
勤め人(ただしホワイト、高給に限る)というホドホドの世界もまた住み心地は悪くないのである。

鳩が鷹の真似をするのも滑稽である。
ふんどし王子やポール氏のような天才的投資センスがあるわけでもない。
中途半端な勤め人+大家のハイブリットで満足するのが良いと思う。

少なくとも息子らが経済的に私から自立するまでは
ダラダラと勤め人を続けながら人生を謳歌した方が良い気がしてきたのである。

確かに勤め人卒業は魅力的だが、
勤め人を卒業して成し遂げたいこともないのに、
「卒業」のために無理をして人生に疲れるのは本末転倒ですらある。
ここは勤め人大家として楽しく生きるという方向を
積極的に肯定していくべきなのではないか?
と、思い至った次第である。

今の立場は十分に幸せである。
税金は重くなったが、稼いだ以上に取られるわけでもないし、
私より稼がない人よりも税引後利益が低くなることもない。

今の幸せを謳歌しようと思う。

つづく