勤め人年収は2,000万円が上限だ

勤め人卒業関連

給料とは何か?

結論、労働力回復に必要な経費である。

労働債権は法的に強い保護がされていて、
金融機関の債務返済よりも労働債権が優先される。


相当に強い権利だ。
なぜそんな保護が与えられるかと言えば、
労働者及びその家族の生活費だから。

ブラック経営者が「給料は成果の対価だ!」と言う。
努力に報いた証でもなければ、
忠誠心の対価でもない。
労働者の生活保障である。

だまされてはいけない。
さらに経営者は正社員を原則として解雇できない。
当たり前だ。
生活保障給なのだから。
成果を出さない社員の首を切れないからと言って、
正社員の解雇規制を撤廃せよ。
という動きもあるが、これはまさに「反動」である。

純粋資本主義によって労働者が奴隷にされてきた歴史。
その反省に立って、資本主義に修正が加えられてきた歴史を踏みにじる議論だ。
正社員解雇規制、労働債権の優先は守られるべきだろう。
資本主義が共産主義と戦う中で修正を迫られたものだが、
ソ連の崩壊で資本主義が先祖返りをしている。

結果的にアメリカ→日本へ波及する形で、
貧富の差が拡大しているのだ。
貧富の差が拡大するのは100歩譲って良いことだ。
しかし、上が伸びるだけならいいが、
中間層が没落する形での貧富の差が拡大するのはダメだ。
資本主義は競争を肯定する思想だが、
皮肉なことに共産主義という競争相手を失って暴走を始めたと言える。

話がそれた。

要するに給料とは労働の対価的な側面はあるものの、
生活費(労働力回復のコスト)なので、必要以上に支払を期待してはいけない代わりに
法的に強い保護も与えられているという話である。

以下の話は上記を前提に進める。

給与を上げる戦略の限界

生活費が給与であるという概念に立つと、
給料を上げる人生設計には限界があるとわかるだろう。

人は1日3食食べて、市販のスーツを着て、普通の家に住み、
妻一人に子供は多くても3人である。
全員私立受験をしたとして、自動車も買ったとしてだ。

ある程度コストをかけた生活をしたとしても、
生活費は2,000万円が上限ではなかろうか?

生活費と「贅沢費」は全く異なる。

事実、裁判所は外資系金融機関に勤める高給勤め人は
判例で残業代を否認されたこともある。
(モルガンスタンレー事件)

一方で年俸1,700万円の勤務医の場合には残業代が認められた。
やはり2,000万円程度が生活費としての給与の上限なんじゃないかと思う。
3,000万円の給与を貰っておいて、
残業代は別途だ!というモルスタの社員の主張は裁判官としても
「高いよ!」という話であったというわけだ。

さて、

そう考えると、労働債権(=給与)として受け取れる金額、
そして労働者=正社員として法的保護を受けられるラインは
年収2,000万円が上限だと決める。

確かに年収1,000万円にも届かない勤め人であれば、
転職等で年収を上げる戦略もアリだと思うが、
勤め先のホワイトっぷりと給与額(上限2,000万円)を比較して、
自分の能力を客観的に見た上で、妥当なところで手を打つべきだ。

適度なホワイト、適度な給与額を両立した転職後の話

まあ、俺の能力的にはこの職場だな。
と、職場を定めたら、次はどう動くか。

いきなり副業を始めてはいけない。

転職直後は仕事っぷりを周囲はよ~く見ている。
労働時間中ずっと監視カメラでみられていると思った方がいい。
ネットサーフィンもすべて。
電話の会話もすべて盗聴されているくらいの意識で働こう。

さらに、「仕事を一人で任せてもらえる段階」
まで、勤め先の業務に習熟しなければ、
副業をスタートしてはいけないので注意してほしい。

一人で仕事を回せるようになって、
8時間の拘束時間のうち、2時間程度で1日の仕事を終わらせることができる。
そんなレベルまで習熟する必要がある。
ここに至るまでは副業などをしている場合ではない。
まずは本業の勤め人の熟練度を上げないとダメだ。

その段階に達すると、周囲は
「こいつは放っておいてもやることはやるやつだ」
という安心感を持つようになる。
安心感であり、「飽き」でもある。
飽きてしまうと人は注目しなくなる。

その段階に至って初めて副業に目を向けるのだ。
まずはホワイト労働の確保、労働への習熟。
このステップを厳守しなければならない。

熟練勤め人のその先

ここからである。
一人で仕事をぶん回すことができるようになった。
週5日、1日の拘束が8時間で、週40時間の拘束だが、
仕事は10時間で終わらせられる。

こうなった次の一手が重要だ。

ノルマ売上月1億円という勤め先のルート営業だとしよう。
1日2時間もあれば、このノルマが達成できるほど習熟したなら、
2億円の売上を目指すのか?
NOである。
それをやってしまうと、
完全に出世コースに乗ってしまう。
出世コースに乗った場合。

ノルマ1億を簡単に達成するような同僚と競争をさせられる。
これは1億を安定的にやるよりもずっと厳しい。
ここより上の勝負はわりに合わない。

仮に500万円給与が変わるとしても、
500万円の粗利が取れる自分のビジネスを作る方が楽だ。
間違いなく楽だ。気持ち的にも、時間的にもである。

1日8時間の仕事を2時間で処理、
浮いた6時間で稼ぐ(私の場合は大家業)。
これで定年まで引っ張るもよし。
自分のビジネスが軌道に乗ってきたら完全にシフトするも自由だ。

個人的な感想だが、
大家業は勤め人と並走させるのがいい。
一方で独立起業してからも、
大家業は組み込んでおいた方が経営が安定すると思う。

勝率の高い勝負をしよう。
それが適度の労働者+副業だ。

人生100年時代、65歳から先も長い。
その意味でも「自分の商売」は勤め人の必修科目である。

つづく