徳川家康の言とされる名言
戦国終期の百姓が現代の勤め人であるとすれば、蓋し名言である。
そもそも百姓とは農民ではない。
百(ひゃく)の姓(かばね)であり、一般庶民のことであるから、
町民や工人のことも指す。
資本主義を制限なく放置すると、
成金、豪商というヤツが誕生して信じられない力を持つようになる。
まさに現代がそうだ。
武力が政治だった時代、(江戸時代から実は明治、昭和戦前まで続いていたと思う)
武力が政治を支配して、商売人は抑えられてきた。
しかし、戦争の反省から、武と政治は切り離されるようになった。
結果シビリアンコントロール、文民統制という制度が敷かれたのであるが、
こうなると商売人が強くなってきた。
実際「経団連」という商売人の団体が政治に対して権力を持っているのである。
軍人を警戒するあまり商売人という、同様に危険な存在が政治を行っている。
そんな時代だ。
軍人政治が王道だった時代が終わるのは、2つの世界大戦が必要であったように、
商人政治が隆盛を極める現代が終わるためには、同様の未曾有の被害が必要なのだと思う。
人は失敗でしか学べないのだ。
さて、
そんな軍人政治が隆盛を極めた時代、
軍人以外の百姓は生かしてもダメだし、殺してもダメという話だが、
生かす(=権力を持たせる)
殺す(=文字通り殺す)
も、ダメという話。
勤め人に高給を与えると、資産形成して卒業する
優秀な人材を集め、年3,000万円ほど給料を与えるどどうなるか?
私であれば、手取り1,800万円もあったら、
300万円で生活して、1,500万円を投資する。
10年もしないうちに、私の生活コストは投資収益だけでカバーできるようになるだろう。
30歳から10年後、40歳で勤め人など辞めてしまう。
そうなると雇用する側は非常に面白くない。
これからあと10年は稼いでくれるであろう労働者が辞めてしまうのだ。
特に有能なヤツから辞める。
非常にツマらんとです。
そのためにも、勤め人の給料は高くては不都合なのだ。
生活費でかつかつにしておく方が、長く使える。
家も買ってもらった方がいいし、家族も持ってもらうほうがいい。
かといって、年収300万円では死んでしまう。
特に精神が死ぬし、家族も持てないから、
将来の労働力の供給にも支障が出る。
この点今の政府は割り切っていて、
彼らは本心では少子化対策などやる気はない。
海外では人口が増えているのだから、
それを輸入すればいいと思っているに違いないのだ。
私も個人的には商売偏重の先鋭化した資本主義はマズイと思う。
私のような人格的に欠陥がある人間がある程度金持ちになってしまう。
もっと人格的に優れた人物や
知性のある人が、低年収に置かれて、しかるべき立場に就けないでいるのを見ると、
変わらなければいけない気はしている。
とはいえ、私のような非才の身では天下国家を如何ともしようがないので、
まあ、せいぜい子孫でも作って、資産を形成して天才の出現を待つしかないし、
多分行きつくところまで行かないとこの資本主義の先鋭化も終わらないだろう。
私が生きている間に新しい世界は来ないと思っている。
資本主義の先鋭化の末期は老眼で眺めることになるかもしれないが。
殺されるな、生きよ
徳川家康も言うように、
経営者は勤め人を殺さぬよう、生かさぬように労働させ、
労働力が老化で使い物にならなくなるまで、
細く長く使おうとする。
それは悪いことではない。
しかしだ。
俺はいやだ。
周囲より少しだけ豊かになりたいと思っている。
けして贅沢はしたいわけじゃない。
食べたいときに好きなものを食べる(太るけど)
やりたいことができる
家族を持ち、育て、次世代につなぐなど、
その程度でいいのである。
しかし、それすら難しい世界である。
けして昭和の時代がよかったとも思わない。
あれはアレで、滅私奉公の地獄だ。
それでも周囲よりは少し豊かで、自由を謳歌する、
上位20%程度の金持ちにはなりたい(今は上位0.2%くらいまできてしまったが)。
そのためには、生きる(力をもつ)のである。
殺されないようにしなくても、殺しはしないのだが、
追い込まれてはいけない。
解決策は1つしかない。
勤め人で全てを出し切らず、
余力を持って資産を買うのだ。
つまり、勤め人プラス大家である。
これが凡人に許された唯一の解決策だ。
戦おう、敵は見えないように隠れているが、
明確な悪意(生かさぬよう、殺さぬよう)を以て私たちを処遇している。
敵は見えないが確かに存在し、私たちを生かさぬよう殺さぬよう処遇している。
それを認識した上で、敵の側に自分が回るのだ。
戦おう、殺されないかもしれないが戦わなければ自由に生きることはできない。
つづく