勤め人になるために学校に行かされたようなものだった

働き方

学校とは勤め人養成機関である。

既に何度か触れている。
勤め人養成機関が学校である。

MBAを取得するのも、
高給を得るためだ。
経営者、即ち他人に使われるために勤め人になると言える。

ただ、私はこれに否定的なわけではない。
実際私も学歴社会のおかげで、
今、ある程度楽な生活ができるようになっているのである。

私はたまたま、勉強、学校と言うシステムに適性があったために、
高偏差値の大学に進み、エリート勤め人ができているに過ぎない。

もし、現代が、戦国時代であれば、
身体的戦闘能力が最重要視されていたであろうから、
良い生活はできなかった可能性がある。

もしも仮に、勉強や学校と言うシステムに適応することが困難な人がいたら、
その場合には学校→勤め人というルートから敢えて外れて生きるのが正しい。
私の息子達にも学校制度や勤め人ルートが得意でない者がいたら、
独立自営の道を進むことを提案したいと思っている。

もしも学校が嫌い、勉強が不得意で生まれていたらどうしたか?

技術系の仕事がいいと思う。
重機の取り扱いができるのも良いだろう。
建設やリフォームの仕事も良い。
手先も器用でないのであれば、接客系の道に進む。
対人関係能力もないとなると選択肢がなくなってくるが、
農業、漁業などが良いかもしれない。

しかし、いずれの道に進むにしても、
絶対に習得しておかねばならない、必修科目がある。
カネとの付き合い方である。

どんな日銭を稼ぐ道でも構わないが、
このカネとの付き合い方をマスターしておかないと
結局は資本主義のルールのもとで、奴隷として生きるしかなくなる。
これは残念ながら学校では教えないし、
普通に生きていたら誰も教えてくれない。

私の場合には必要に迫られて、
自ら学んだが、必要性を感じないまま生きたら、
カネの問題と向き合うことなく過ごしてしまっただろう。

その意味で、貧しい思いをすることも、
自らを奮い立たせるという意味で非常に良い経験となる。

新卒でいい会社にでも入っていたら、
今頃私は勤め人として普通に生きていたことだろう。
恐らく不動産も持っていなかったと思う。

多くのカネは望まないが、多くの自由を望む。

私は十分な給与を頂いている。
恐らくこれだけで十二分に生きていられるだけの額である。
しかし、その上さらに不動産からの収入もある。
このキャッシュフローの合計額をさらに増やそうとは思っていない。
○千万円あれば十分である。

私はこれ以上の金額を望まない。
しかし、キャッシュフローに占める「労働」を対価として得る割合を減らしたいと思う。
今後の課題はそれである。

かと言って無理に負債を増やして事業規模を拡大することはしない。
借入は常に6割までと言うバランスを守って資産を拡大していく。
50歳を過ぎたあたりに勤め人卒業を持ってきたいと思う。
丁度息子らの先もある程度見通せる年齢だ。

ここまで行くと、むしろ、固定費が減るので、
自然に勤め人である必要性がなくなってくる。

どんなルートでも構わないが、
とにもかくにもカネとの付き合いさえ抑えておけば、
この資本主義の世界は非常に生きやすいものである。

つづく