利己と利他のバランス

資本主義の分析

金持ちになる過程では利己的でなければならない

会社のために一生けん命に働くと、
充実感がある。

この充実感の正体は
「貢献感」だ。

アドラー心理学でいうところの「幸福」の正体である。
この他者に貢献しているという感覚こそが、
人間を人間たらしめている感覚であると言っても過言ではない。

人間になぜ貢献感で幸福を感じる本能が備わっているかというと、
人間は弱者が集団で強者を殺すことができるという特性を持っているから。
らしい。

ライオンのオスでは体格と運動性に優れる雄ライオンが群れを支配する。
体格と運動性に劣るオスがこのボスライオンを殺すことは不可能だ。

しかし、
人間の場合にはいくら、井上尚弥選手であろうとも、
凡人5人の集団には勝てない。

石器時代には、そのような群れもあったのだろう。
強靭な肉体を持つ一人の男が女性100人を抱える群れだとする。
この群れは男性100人、女性100人の群れに簡単に滅ぼされ、
男性100人、女性200人の群れとなる。

このように人間は集団戦法により、
劣る個体が優れた個体を駆逐することができる。

そうなると、重要なことは、
集団で襲われてしまわないように、周囲に悪く思われないようにしよう。
という、感覚が産まれる。
更に、自分の能力を使って、社会に貢献すると、
周囲から必要とされ、殺される心配がなくなるのである。
その安心感こそが、幸福感として感情に現れてくるのだ。

しかしだな。

現代では、法治主義が徹底しており、
私刑は禁止されている。
多少利己的にふるまったとしても殺されることはない。

ヤリチンが、クラスの女子全員を食い散らかしたとしても、
周囲の非モテオスはこのヤリチンを殺すことはできない。
ある程度村八分にすることはできるが、
まあ、関係ない。
特に都市にでも逃げてしまえばヤリチンはまた新たな狩り場を見つけて無双するに違いあるまい。

現代は特にこの傾向が強く、
逆にLGBTみたいな、
石器時代なら、即殺されていたような連中が、
大手を振って歩き回っている。

また、不法入国した外人までもが、
日本人以上の特権を得て縦横無尽に生きている。
イスラム世界で排除されるような連中が来るわけだ。

資本主義の成功もこれと似たようなところがある。

一生懸命会社のために働く人は給与収入しか得られないので貧しい。
適当に働いても給料は差がないので、
大家業をしながら勤め人をする人は豊かになる。

石器時代であれば、
狩りをしないで食べるだけの男は殺されていただろうが、
資本主義、法治主義が徹底した現代では殺されない。

盗人ムーブが成功のカギになってしまうのである。

日本の政治家も似たようなところがある。
いくら徴税しても国民は歯を食いしばって納税する。
いくら増税してもデモ一つない。

これが戦国時代であれば、さっさと隣国へ逃げてしまうだろうが、
日本は既に統一されている。
海外に行くにも語学の壁が高い。

政治家は全く国民の窮乏など無視して、
外国人から金を貰って日本に入国させる。
徴税をキツクしてカネを集める。

これが可能となる。
そしてうまく機能する。

そして「勤勉」「真面目」な人ほど損をするという矛盾が生じてしまう。

ある程度成功したならば利他的になって、
その成功で得た富を防衛するべきなのだ。
アメリカの金持ちが寄付をするのは、防衛行為なのであり、
彼らは決して善人ではない。

批判を恐れているのだ。

勤め人+大家のムーブも利己にステータスを振ることと同義である

政治家には絶対になれない。

勤め人として労働力を全力投球しない。
という不忠義をやらかし、
余剰労働力で、自分の資産形成を図る。

経営者、特にオーナー経営者はそんなものは、分かっている。
見逃しているのだ。
「まあこの程度稼いでおればいいか」
と、見逃しているだけだ。

その許容範囲を超えてしまったら、
圧力がかかってくるに決まっている。

圧力がかからないギリギリ「下」を刺す。
労働法で守られた内側だけで戦う。
育児休暇という制度を利用するだけ利用する。

精神病になり、診断書を得て、休職するという戦法もある。

こんなものは石器時代には通用しない。
石器で頭蓋を割られてオシマイだ。

現代だから通じるメソッドだ。

しかし、このメソッドをある程度使わなければ、
金持ちにはなれない。

今成功している経営者たちも、
勤め人としてノウハウを盗んだものもいるだろう。
勤め人として組織に貢献することから、
自分が組織のボスになるために、
多かれ少なかれ不義理をやっているのだ。

私のような凡人であれば猶更、
忠義者だけでは豊かになれるわけがない。
60歳までは忠義者として重宝されるだろう。
65歳までは忠義者として給料を減らされて使われるだろう。

65歳を過ぎたら、遠慮なくお払い箱にされるだろう。
そんなものだ。

石器時代の脳の安心感を捨てねばならん。
石器時代の脳が不安を感じる、利己的な行動をあえてするのだ。
恐怖はあるだろうが、
殺されることはない。
やるしかない。

ある程度の不義理は許容される。

有休をフル消化する。
育児休暇を1年取る。
定時に帰宅する。

法律の範囲内での不義理は不義理ではない。
権利の行使だ。

石器時代は終わった。
今は法治国家なのだ。

感情に負けることなく、資本家側に回れるよう知恵を回していこうじゃないか。

をはり