無駄な支出など存在しない
ひろゆき氏と三橋貴明氏の対談を見た。
だいぶ前のものらしいが、
ひろゆき氏が「子供手当1,000万円にすればいい」
と発言したのを受けて、
三橋貴明氏が、「おや、この人は現代の通貨の本質を理解しているんじゃないか?仲間になれるかも?」と思って対談したのだと思う。
が、なぜか対談になるとひろゆき氏は議論に勝つことを目指して、
相手を苛立たせる作戦?に出てしまい、
不毛な対談になってしまっていた。
さすがに三橋氏は数十年もおかしな経済学者や政治家、評論家と対談してきているので、
終始冷静で、最後は、「あ、間違った、コイツ違うわ」と理解して幕を引いていた。
時間の無駄なので見なくても良いが、
ひろゆき氏はとにかく無駄はダメ!
という主張であり、
例として、政府支出がパチンコで北朝鮮に数兆円?流れても無駄じゃないのか?
キャバクラに使っても無駄じゃないのか?
と、まあ、極端な例を出して反論していた。
だが、アドラーも言うように
「社会に存在す仕事は全て意味がある」のである。
意味があるとは、人の役に立っているということである。
仮に違法な闇金にしても、
高利でも借りたいという人いて、
それに金を貸すとい関係が成り立っている。
違法な売春にしても、性行為を売りたい人、
買いたい人がいて取引関係が成立している。
お互いがお互いの役に立っているのである。
(むろん闇金や売春を肯定しているのではない)
厳密に「無駄」だと言えることは個人レベルではあり得るものの、
国レベルで見ると、どちらも無駄ではない。
流れたお金はパチンコ店に流れる。
パチンコ店としては売上である。
売り上げから従業員に給与を支払い、
給与で家族の生活(食費、家賃、電気…)が賄われる。
そうして金(カネ)が回っていくのである。
政治は国民全員を救うものであるべきで、
国民の携わる仕事によって線を引くべきではない。
ここに線を引いていくと共産主義やナチスの政策に通じていくことになる。
同性愛者を攻撃したり、障碍者を隔離したり、出産を制限したり、
これは無駄な支出、あれは無駄。たばこは悪い、原子力はダメ。
と、国家が決めるのは恐ろしいことである。
最低限、覚せい剤は違法にする。
酒とたばこはOKにする。
国民の代表である国会議員の立法で最低限の規制はすべきだが、
規制は常に慎重に導入されなければならない。
無駄の定義を明らかにせずに何が無駄かを判断することはできない。
ひろゆき氏はあまり深く考えて話すタイプではないので、
まあエンタメ的にやっているのだと思うが、
無駄はダメ論は個人レベルでやればいいことだが、
政治レベルではやってはいけない。
浮浪者も、発明家も、売春婦も、障碍者も全員救うのが政治だ。
子供のため、というのであれば、所得制限等不要だ。
どんどん使えばよい。
政治レベルでも個人レベルでもやってはいけない助け方
とはいえ、である。
コロナ禍で、小規模飲食店は助ける、大規模は助けない。
大規模の定義はこう、小規模の定義はこう。
と、やって、かなり不公平になっていた。
飲食店を助けたら、
そこに商品を納入している事業者も助けるべきだ。
飲食店に限らず、歌手、役者も・・・・
となる。
こういうケースでは一律に前年度の営業利益と、今年の営業利益の差額をポンと
政府が補填するしかない。
逆にコロナで利益が出ているのであれば、
普通に課税してよい。
何のために確定申告をさせているのか?
意味不明である。
日本のコロナ支援は大いにショボかった。
話がいきなり脱線している。
いや、ずっと断線だ。
しかし、である。
政治レベルの話はさておき、
個人的に助けてはいけない場面というものがある。
一言で言うと本日のタイトルである
「乞食に施しをするな」
という言葉に集約される。
浮浪者という生き方は実はかなり楽な生活だと思っている。
食品に対する日本人の潔癖さは世界有数であり、
賞味期限が切れた食品は遠慮なく投棄されている。
これらのフードロスが問題視されているため、
食べられる食べ物が供給されるルートがある。
比較的低コストで生活できる状態にあるのだ。
おまけに今は生活保護も受給できるので、
贅沢をしない限りは生きるに困らない。
そもそも現代の浮浪者は施しすら必要としない。
問題なのは浮浪者でもなく、
まっとうに生きているように見える乞食の方である。
この乞食への対応を間違えないことだ。
まず、NEETである。
親に寄生し、仕事もしない、学校へも行かない連中だ。
これは親も悪い。
早い段階で家から叩き出すべきである。
生活保護を受給する前に親に頼れと言うが、
むしろ生活保護を受給させた方が良い。
絶縁しなければならない。
勘当というヤツだ。
恐らくそうなると、NEETの相当数は働くと思う。
そうではなくても何とか生活保護を受給しようと手続を調べたり、
しかるべき場所に相談をする。
それすらできなければNPOが救いの手を差し伸べる。
ライオンの群れでも成長した子供は群れから追い出す。
追い出して、独力で生き、成長して、戦い、勝って
群れのトップに君臨するのだ。
弱い奴は死ぬ世界ではない人間社会ならば、
生活保護受給手続をとって社会で生きさせてもらう。
という感覚を持たせた方がいいのだ。
また、友人知人に金(カネ)を借りる、タカリをするヤツもいる。
これも浮浪者よりもタチが悪いヤツだ。
私は金を貸してほしいと言われたら、
「金利は?」「担保は?」「保証人は?」
の3つで応戦する。
これを突破してくるヤツはゼロだ。
親戚だろうが兄弟だろうが、トモダチだろうが、
このような乞食に施してはならない。
誰かが助けるから、いつまでも乞食から抜けられないのだ。
全員で一致団結して拒否しよう。
そして、実はそれが一番その人にとって助けになるのである。
誰も貸してくれない。
どうしよう。
何とかしなくては…。
と、考えて生活を見直すだろう。
与えるのは助けにならぬのである。
クレクレ君情報乞食
現代には情報乞食もいる。
不動産投資でそこそこ稼いでいて、情報発信などしていると、
この情報乞食が出現する。
教えて教えてというヤツだ。
この情報乞食は、情報をタダだと勘違いしている。
教える時間、思考は極めて価値が高いものだ。
成功者の情報はなおさらである。
聞くだけならタダだと勘違いしている。
若しくは少額の金(カネ)を払えばよいと思っている。
Twitterでも公演の依頼等があるが、
すみません。あまりメッセージを見ないので、スルーしてしまっている。
うるさいので通知をオフにしているため、
全く気が付かない。
本当に必要な人は何とかしようと、
色々探して私にたどり着くので問題ない。
私は案外探せばすぐ見つかってしまうのである。
また話がそれた。
情報系乞食に対しても
施してはならない。
これは助けにならない。
自分の頭で考えることをさせないと、いつまでも情報乞食のままである。
タダで情報を取るのが悪いとは言わない。
相手が喜んで話したくなるようなアプローチをすればいいだけの話だ。
成功者は気前が良い人が多い。
とはいえ、情報乞食には辟易もしている。
でも話はしたい。
例えば、相手が気持ちよくなるような聞き方をするなど、
一方的に得る乞食ではない関係性を構築するべきだろう。
とまあ、現代では本当の乞食は生活保護システムで救済されている。
本当に助けなけなければならないのは、
ヤングケアラーのような子供達だ。
彼らは肉親という隠れ蓑のもとで搾取されている。
同じく肉親の隠れ蓑の下で、NEETしている乞食。
友情を隠れ蓑にする友情乞食。
情報はタダだと勘違いしている情報乞食。
豊かになったので、助けるべき相手を正確に見出すのが難しい時代になった。
私も将来は慈善事業を!
と思い立ったのだが、
慈善事業で助けるべきでないヤツを助けてしまうことにもなりかねない。
慈善事業をやるにも優秀でなければならない。
まだまだ修行が足りんという話。
つづく