セミナーや飲み会で一生の関係などできない

人間関係

誠に残念な話だが、
私は35歳頃から同窓会、
OB会のような「集まり」に
参加することはなくなってしまった。

理由は単純で、
過去の人間関係が将来に良い影響を与える可能性は極めて低い。
と、思っているからだ。

それも学校、大学という、
自ら選択して得た人間関係でない場合は
特にその傾向が強い。
単なる過去の振り返りと現状の報告し合いだ(何のために?)。

いわんや両親でさえ、
育ててもらったというだけで、
大人になれば新しい人間関係が産まれ、
親との関係も「終わっている」。

育ててもらった恩があれば、
その両親の終末が
みじめではない程度に
してあげるのは必要かもしれないが、それ以上は必要ない。

私もこのような非人間的な思想をしている以上は、
子供たちに財産を奪われて死のうとも
異議申し立てはできないと諦めている。

ただ、
子供たちは私の遺伝子を将来へ繋いでくれればそれでいいという気もする。
そんな感情も私の身体に刻み込まれた遺伝子の欲求なのかもしれない。

さて、閑話休題。
同窓会、OB会に伴う飲み会もさることながら、
セミナーや読書をして、

「やった気になる」

症候群に罹患する人を多数見かけることがある。
自分はまだ何も始めていないのに、
他人の主張や知識、
経験を聞いただけで、
自分が成し遂げたかのように語り回る連中だ。

昔の私のことなのだが…。

さて、そんなやった気になるシンドローム(症候群)
は大変によろしくない。

特にアルコールが入っていると気が大きくなるので、
「やってやる」
みたいなことを言いがち。

特に職場の飲み会で上司にオルグされて、
ヤル気なんか出しちゃう勤め人は多と思いうが(それも過去の私)、

その、今、酒飲んでいる時間が
最も無駄であることを認識しなければならない。

〇 飲んでいる時間(2時間)。
〇 飲み会で払ったお金(5,000円)
〇 翌日の体調不良(3時間)
〇 失う健康とその治療コスト(ウン万円)

じゃあセミナーに参加しなくてもいいのか?
サウザーさんのセミナーに参加することが意味ないのか?

と言うと、当然、そんなことはない。
セミナーに出て、
士気を高め、
同種の目標を持っている人達に出会うことで、
自分の人生というエンジンにガソリンを入れて、
爆発させる効果はある。

サウザーさんのような稀有(けう)な才能の持ち主が、
目の前で、自分と同じ人間として
普通に「存在している」という事実を確認することで、
「俺にもできる」という確信を得ることが大事である。

セミナーとはそのように使いたい。
もしくは単純に閉鎖空間で
重要な情報が交換されることがあるので、
それを得る。
それがセミナー参加の正しいあり方だ。

不動産屋が主催するセミナーに参加して
騙されてバカな物件を買うのがセミナーではない。
無料のセミナーは原則価値が低いと思った方が良い。

さらに重要なことだが、
「あなたを金持ちにするのはあなたしかいない」
という圧倒的な事実である。

同志を得て
「仲良しこよし」は所詮「トモダチごっこ」に過ぎない。
得た知識で商売を実行して
自分の名義の銀行口座に振り込み入金される。

それは自分が孤独にやるべきことだ。
自分で孤独に続けて、それが大規模になって、
他人に任せなければビジネスが回らない程に大きくなること。
その段階で配下を集めるのは良い。

サウザーさんの場合も
無名時代は孤独に読書し、
ブラック企業で塗炭の苦しみを味わい、
ホワイト企業に転じて社内では変人扱いされ、
孤独にリフォーム、ナンパ、筋トレ、
オナ禁、オーディオ作成に取り組んだに違いない。

その孤独な努力が商品となり、
サウザーさん1人では対応できなくなったから
社員を雇っているということである。
(2019年11月6日時点)

スタートから事業規模がある程度大きくなるまで
(勤め人卒業が1つのターニングポイントなのだろう)は
「孤独」であるべきだ。
私は今まさにそんな時期にいる。

勤め人としては浮いてしまっているし、
過去の人間関係にはメンテナンスを放棄した。
家族とは最低限のコミュニケーションがあるものの、
それだけだ。

過去の人間関係や、
どうせ辞めたらリセットされる勤め人の
うっすーーーーーーい人間関係に
時間を費やして、
寿命が来るまで時間を潰すという戦略もあるだろう。

それでいいのかどうか、
今一度考えなおしたい。

何も捨てられない人は何も手に入れられない人なのかもしれない。