やはり聖丁ラジオは面白い。

読書&インプット

聖丁ラジオ第485回人間の旬について

あーあ、サウザーさんVoicyやめちゃったなー。

と、思っていたら最近頻繁に更新してくれてありがたいことである。
さて、485回の話は良かった。

是非歴史と交えて人間の一生について語って欲しいところだ。
さて、今日はこれにインスピレーションを受けて書こうと思った。

ざっくり言うと、長い人生いい時もあれば悪い時もある。
良い時にすべきこと、悪い時にすべきことを間違えるとメンタリストになるぞ。

まあ、そんな話だった。
これをいつもの知性ある声と内容で語ってくれた値千金の放送である。

かの徳川家康はまさに人生悪い時だらけの人生だったのではなかろうか?

日本における最高の指導者と言えば、徳川家康公である。
戦国の世を泰平たらしめ、300年にも及ばんとする平和を作り上げたのである。

しかし、その人生は艱難辛苦そのものであったと思う。
祖父、父親が家臣に殺され、
幼くして今川家の人質となる。
結局今川家から嫁を貰って、一族として組み入れられてしまう。
少年時代はまさに不遇である。

しかし、時を得て、今川義元が信長に討たれ、
独立を果たす。
一瞬の春かもしれない。
三河の大名として独立したのである。

そしてすぐに冬が来る。
厳しい冬だ。
厳しい冬とは「武田信玄・武田勝頼」である。
戦国最強の武田家に領土を接し、拡大することもできない。
織田家の壁としての役割を担うのである。
これが40歳頃まで続くのである。

長く、厳しい冬だ。
そして冬が明ける。
織田信長が本能寺で死ぬ。
このチャンスに甲斐、南信濃の領土を得て、北条家にも匹敵する勢力となる。

しかしこの春も長くは持たない。
また、長い冬に突入する。
豊臣秀吉というモンスターの台頭である。
彼に頭を押さえつけられ、
1582年に本能寺の変、1583年に小牧長久手の戦いで存在感を示したものの、
戦に勝って、政治で負けてしまった。
結局秀吉が死ぬまで、家康は忍従した。

領土を取り上げられて、未開の関東に追いやられるなど、
家康でなければ秀吉に一戦しかけてもおかしくなったと思う。

秀吉が死ぬまでまさにほとんど冬の時代だったと思えるほどの人生だ。

しかし、

秀吉の死後は、その冬の時代に鍛えた戦国大名としての経験を活かし、
確実な手を打ち続けたことは私ゴトキが説明するまでもない。
まさに60歳になるまで冬の時代を過ごし、還暦を過ぎてから春、盛夏となり、そのまま人生を終えたと言えるような人生だと思う。

冬の時代に何をするべきか

家康公は人質時代、今川家に組み込まれても従った。
織田信長と同盟(従属同盟)した後も信長に従った。
秀吉の天下となっても従った。

その間何をしていたかと言えば
幼き頃から論語を読み、孫氏の兵法を学んでいた。
徳織同盟(とくしょくどうめい)時代は三河、遠河を守り、武田信玄と領土を接して、
まさに戦国最強の武田家と戦いながら信玄から教育を受けていたと言っても良い。
秀吉時代には関東平野を開発した。
湿地帯だった関東平野に大土木工事を行った。
豊臣家が朝鮮出兵で戦力を減らす中、力を蓄えていた。

猪武者であれば、こうはいかない。
織田と通じて今川家に独立戦争をしかけることもできただろう。
織田信長を裏切って武田信玄に従って、織田信長を攻撃することもできた。
小牧長久手の戦いで秀吉には実質的には勝利していたのだから、
そのまま戦争を続けることもできただろう。
旧領を取り上げられて関東に追いやられた時も、
反抗することもできたと思う。

並の大名であればいくつも滅亡する場面があったのである。

これも全て冬の時代に無理に芽を出そうとせず、
じっくりと力を蓄えることがいかに重要かを物語ると思う。

翻って私のしょうもない人生はどうか?

〇 冬の時代 → 高校生まで、非モテ、童貞君、実家の環境最悪。
(~18歳)

18歳までは冬の時代だったと思う。
人生は冬から始まる。
金持ちの家にでも生まれない限りは皆同じだ。

〇 一瞬の春 → 早稲田合格、合コン、彼女できる
(~21歳)

大学では一瞬の春を味わう。
東京での一人暮らしは楽しい。

〇 再び冬
(22歳~28歳)
自分の能力を正しく評価できず、
ホワイト大企業に入っておくべきところを
司法試験の勉強をやってしまい、2年を無駄にする。
社会から必要とされていない人間という感覚を味わった。
25歳でサラ金の子会社に泣く泣く就職する。
こんなはずではないと、投資用不動産会社に転職したが、さらに挫折。

〇 春、そして夏
(28歳~35歳前後)

28歳までの冬の時代に投資した不動産がコツコツ家賃を稼ぎ始めた。
そして転職がうまく行って、給与も3倍以上に増えた。
不動産も増え続けた。

〇 秋
(35歳~今)

勤め人+大家という歯車がうまく回転して豊かになったが、
マンネリ化を始める。
増えた収入が教育費に湯水のごとく浪費されていくのをただ眺める。
税務署にガッツリとご指導を受ける。
収入は3割以上減った(減ったというか普通に税金を払うようになっただけ)。

今はただ家賃を増やしながら教育費の負担に耐えているだけの時期だ。
まさに冬。
コロナのせいで積極的に攻めることもできないし、
なぜか不動産も高い。
身動きが取れない状態とも言える。

思えば、30歳の春は
25歳からダブルワーク、不動産の勉強をして、区分マンションを買い始めたことで訪れたものである。
今、冬っぽくなっている今、私はどうやって乗り切るべきなのか。

私は知っている。
地道な下積みなのである。
「勉強」「節約」「未来への種まき」である。
教育費の支出など、未来への種まきそのものであろう。
マイナスに評価してはいけない。
新しい事業を開始するというのは愚策だと思う。

冬に獲物を探しにいくことはない。
春に向けてじっくり家賃とやる気を涵養しようと思う。

つづく