いわゆる「仕事ができる人間」と管理職

働き方

日本の悪しき伝統「現場のエースが管理者になる」

別に外資で働いたことがないので、
外資でもそうなのかもしれないが、
現場のエースが管理職になるという伝統がある。

私はこの選抜方法が大いに間違っていると思っている。
要するに王貞治が監督になる。
長嶋茂雄が監督になる。

という、一流プレイヤーを監督に据える作戦である。
私はこれが間違っているとまでは言わないが、
「成功との関連性が80%までは行かない」
と、思っている。

確かに全く仕事ができない社員より、
現場のエースが管理職になる方が、
組織全体の成果は出るだろう。
ただ、マネジメントと現場の社員の仕事は全く別の仕事である。

むしろ家庭円満を実現している人が、マネジメントには向いていると思う。
また、管理職(=マネジメント職)と一概には言えず、
牛の群れを率いるのか?
オオカミの群れを率いるのか?
この点も大いにことなる。

更に、海で戦うのか?空中戦なのか?地上戦なのか?
という要素も大いに関係がある。

女性が現場を回している職場
男性中心の建設現場
若者が中心の居酒屋
ホストクラブ、キャバクラでも違うだろう。
管理対象の違いも考慮せねばならない。

モノづくりをするのか?
対面、1vs1で説得、説明をして売る無形物の販売なのか?
全く違う。

ただ、どの現場でも1番大事なことは、
「一人一人の社員が仕事を頑張ろう!という自発性を高めるのが最高の管理者」
これに尽きる。
戦国時代で言うと、御屋形様のために死ぬぞ!
と、兵卒の1人1人まで思わせる武将である。

この点、信長、信玄、謙信では、一兵卒の思いが違う気がする。
信長は恐怖、信玄は尊敬、謙信は信仰とだけ言っておく。
今日は歴史回ではない。

話がそれてきたが、
現場で数字を出せる営業マンから出世して、
出来ない社員の気持ちが分からず、叱責、パワハラで対応してしまう管理職がいる。
このタイプが上に立つことが多い。
そもそも管理職が上で、現場社員が下ということはないのだが。

案外、数字を出せるタイプと言うのは、
サイコパスな人間も多い。
特に金融商品の販売などをすると、
老人に売りつけた挙句、罪悪感を感じるどころか、
「無駄に滞留しているカネを市場に戻しているんだ」
と、言い放つ豪放磊落(ごうほうらいらく)な人間もいる。
恐らく何年も続けているから本心でそう思っているのだろう。

数字が全てではないと思うのだが、
野村証券の現役営業マンが、顧客情報からカネのある老人宅に行って、
現金を奪って放火したという事件があったが、
結局数字至上主義はここに行きつくのだと思う。
ビジネスの基本は永続的な取引だが、
野村證券はこのやり方で何十年も業界トップに君臨しているのだから、
結局このやり方でいいのかもしれん。
俺はやりたくないが。


私は管理職の適性が大いに、ある

ちなみに、私である。
そこを行くと、私は大いに中間管理職に向いた人間である。

現場で数字は出せる。
サイコパスではあるが、一般人に合わせることもできる。

新卒でJTCにでも入社していたら、
さぞいい中間管理職のオジサンになっていたことだろう。
役員にはなれないが、定年前の最後に、関連会社の社長を1年させてもらい、
花束でも貰って老後に入る人生であったと思う。

私の方が、残念な上司よりも100%いい管理職になると自信がある。
管理職は無能でも良い。
いや、むしろ無能でちょうどいい。

戦国大名で言うと、毛利輝元か。
ガチの戦国期の無能だと、今川氏真、朝倉義景など即死するのだが、
資本主義経済がいくら戦国乱世だと言っても、
勤め人としての人生、所詮コップの中の嵐である。

無能なトップでも、周囲がガッチリと固めておれば、
安定するのである。
逆にキレ者過ぎるタイプの方が周囲から嫌われる。
石田三成のようなものである。
息苦しいのである。

しかしだ、しかし。

私はそのルートは28歳の時に既に捨てた。
何が悲しくて社員2、30人の企業で中間管理職しないとあかんのや。
そんな心境である。
中小企業の中間管理職は管理職だけしていればいいというモノではなく、
数字を負わされるから、正直、割に合わない。

20代の頃、そんな上司の年収がせいぜい700万と知って、
大家業を並走させてきたのだ。
何で今更そんなマゾプレイをしなければいかんのじゃ?

私はもう無理だ。
勤め人人生があと30年残っている若い人ならまだしも、
こっちは勤め人+大家の「大家部分」がほとんど完成しているのだ。

なりたくない自分にならないように人生を積み上げてきて、
なんで人生が積みあがってからなりたくない自分にならなければいかんのだ。

と、いう訳で、私が中間管理職をすることはない。
私の次のステージは決まってる。
「自分100%株主の企業の社長」である。
すまんが、他を当たってくれ。

ミスター中間管理職の私に年俸4,500万円以上払いたいという企業があれば、行く。
3,000万円だと3日かんがえる。
2,000万円以下であれば即答で却下だ。

結局いい勤め人と言うのは何か?という話に戻る

結論から言うと、
「貧乏人で、勤め人しかできないヤツ」
これに尽きる。

勤め人が結婚して、家を買って車を持って借金漬けになって、
定年まで全力疾走させられる。
これは伝統的な勤め人の姿だが、
なぜこれが伝統、典型的なのかと言えば、
「経営者から見て、このタイプが一番便利」なのである。

私のように給料以上に不動産収入があるヤツなんて、
扱いづらくて仕方ないだろう。
最悪クビになっても構わん。
という姿勢で反抗するような人間は使いにくいのである。

私自身、私が部下なら嫌だ。
おべっかと追従をしてくれて、仕事は丸投げしておけばキチっと仕上げてくれる。
最高の奴隷じゃないか。

あとは60歳になって使えなくなってきたら、ポイ捨てである。
まあそれが資本主義であり、労働者の人生だ。

私の上司も危ないことを言う。
○○の業務ができないのであれば正社員は続けられない。と。
なるほど、それでは指名解雇でもすればよろしいのではありませんか?
と、なるが、
家族が居て、収入が1つしかない中年男性ではそうはいかない。
○○の業務を必死に勉強して身に着けるしかないだろう。

バカバカしい。
45歳になって、何が悲しくて、俺の法人より利益が出ない地方の零細企業の財務分析をして、貴様に説明しないといかんのじゃ。
そもそも、その決算書は粉飾みたいなもんじゃないか?

という訳で、私は扱いづらい社員である。
是非読者諸氏におかれましても、他人から扱いにくい人間になって頂きたい。
自分の人生の上司は自分だ。

をはり