女性中心社会になってきた
渡部建氏が玉砕した。
コロナの鬱憤(うっぷん)が溜まっていた国民にとって、
最高の燃料となってしまった。
政府も、正直「もうカネ配るのキツイ」と、思っていたので、
政府批判報道キツイから
誰か不倫でもして代わりに叩かれてくれないかなー。
という心境だったのだろう。
渡りに船である。
渡りに船にワタベ。
この過剰ともいえるバッシング。
間違いない、断言する。
人類史始まって以来、現代こそが「女(メス)」の地位が最も高い時代である。
そしてこの傾向は続く。
明治、大正時代までであれば、
妾(めかけ)の存在など「よくある話」であり、
特に芸人、役者ともなれば当然、愛人もいただろう。
ワタベの行動など、誰も気にしなかったのだ。
オスが優位だった理由
まず、オスが優位だったわけではない。
厳密に言うと「強いオス」が優位だったのだ。
オスはオス同士で戦い、
勝ち残ったものが子孫を残すことができた。
オス1体に対してメスが多数割り当てられるのである。
このシステムは日本では戦国時代どころか江戸時代までも続いていた。
西洋のことは知らないが、西洋を見習って1vs1の結婚制度を作ったのだから、
恐らくヨーロッパでは先行して男女1人ずつの結婚が一般化していたのだろう。
ただし、それもキリスト教が始まったここ2000年程度の話であろう。
人類の歴史は類人猿が誕生した400万年という歴史からすれば、
わずか0.5%の時間に過ぎない。
圧倒的に長きに渡って、メスは不遇の時代を過ごしてきたと言える。
圧倒的暴力により強いオスがメスを支配する。
そもそも競争を勝ち残ったより力のあるオスが、
弱いメスどもを支配する世界だったに違いない。
特に石器が開発されるまでは、
純粋に筋力勝負になるわけだから厳しい。
食料を発見してもオスに奪われたり、
殺されて食われてしまうこともあっただろう。
それを避けて生き残るためには強いオスの庇護を得るしかなかった。
第二次世界大戦でゲームのルールが変わった
明確にルールが変わったのは戦後であろう。
アメリカでは1920年に女性に参政権が認められた。
日本でも1945年、敗戦と共に女性にも参政権が付与された。
私はこれと銃火器との関係、そして国民国家という制度との関係。
これらが女性の地位を押し上げたと言っても過言ではないと思う。
確かに戦国時代でも女部将はいた。
井伊直虎、本多小松、成田甲斐など。
姫武者がいた。
腕力で劣るメスが武器を持つことで地位が高まっていったことを感じる。
さらに銃火器が改良されていき、
小型化、携帯が可能となった。
腕力で女性をレイプしようとしても、
相手が小銃を持っていたら簡単にオスを殺すことができる。
そして、国民国家である。
国家は、暴力装置を国民から没収する代わりに、
国家が暴力装置を独占し、法の支配により秩序化した。
そうなると、腕力、暴力だけがその優位性であったオスの役割が、
国家に奪われるような形になってしまった。
支配の範囲が広まったと言ってもよいかもしれない。
せいぜい100人単位でしか群れの支配力が及ばなかったのが、
数千万、数億もの人口を単一の支配権力が束ねるのである。
そして1つのルールの下で暴力(警察、軍事)を運用する。
メスとしては強いオスの庇護に入らなくても、
国家がその役割を果たしてくれるのである。
強いオスは不要となったのだ。
よって女の男に求める条件が
「誠実さ、まじめさ、子育てに協力的」
という、オスとしての特性とは全く関係ないものになったのではなかろうか。
同時にLGBTという概念まで出てきた。
国家がオスの役割を全部取ってしまったので、
オスであること、メスであることの違いは
単なる生殖器官の違いでしかなくなってしまった。
力仕事も重機が代行するし、
AIの操作やドローン操作に男女差はおそらく少ない。
ますます男女の格差が縮小していくだろう。
国民国家に生きるオスはどうすべきか
さて、そんな時代に産まれた私、
そして私の3人の息子はいかに生きるべきなのか?
そこに帰着する。
戦国時代であれば武芸を磨き、歴史書を読み、
強い大名に仕えるという指導をするだろう。
戦時中にあっては国家に徴兵されるので、
生き残ってほしいと祈るのみ。
何とか兵隊にとられずに済む作戦はないかと思い悩むかもしれない。
しかし、今はオスの役割が国家に集約された時代…。
問題はメスの論理・弱いオスの論理が蔓延していることである。
1人と1人しか結婚できない。それもオスとメスだけ。
奇妙なルールだ。
誰にとってこのルールは有利なのか????
それは圧倒的多数の弱者である。
つまりモテないオスと、多数のメスである。
コイツラにとっては今の結婚制度が実にマッチする。
モテないオスにとっては、
イケメン、金持ちに全部持っていかれる恐れがないので有利。
殆んどのメスにとっては、
オスを自分と自分の子供だけに縛り付けることができるので、
有利だ。
そうじゃないと、自分が老化した時に、
夫は若いメスに取られるからだ。
それらを踏まえると、
オスはまず自己分析をする必要がある。
① 自分が弱者か強者かの分類をする。
これをしないと始まらない、
弱者が強者の戦略を取ったら、死ぬからだ。
強者が弱者の戦略を取ったら、不幸だ。
美人がブサイク貧乏人と結婚したら不幸だし、
イケメンがブスと結婚して縛られたら不幸だ。
② 弱者であるならば‥‥
オスが弱者の場合、さらに2つに分岐すると思う。
(1)子孫繁栄を望むのか
(2)別に子供は不要
どっちかである。(1)ならば結婚制度に乗った方が良い。
乗って子孫繁栄すればよいだろう。
(2)の場合には結婚する必要はない。
弱者で子孫繁栄も望まないのに結婚したら大変だ。
完全に女側にいいように使われて人生終わりだ。
③ 自分が強者である場合
結婚する必要は全くない。
強者とはつまり、カネと女が自由になることだ。
私の息子が3つのうちどれに分類されるかは未定だが、
この類型を示そうと思っている。
このケースでは説明不要だ。
なぜならばモデルがいる。
前澤友作先生である。
彼の人生を見ればわかる。
これが新しい時代の強いオスの生き方だ。
残念ながらジョフ・ベゾス(Amazon創業者)でさえ
結局離婚して財産を半分取られている。
強者にとって、結婚は損でしかない。
ダウンタウンの松本さんはどうか?
残念ながら、彼はテレビで生きる人である。
テレビで生きる以上は、子供ができてしまった以上は結婚するしかない。
世間が存在しなければ生きていけないので、
ある意味サラリーマンのようなものだ。
世間様に雇われているのだ。
これを斬って捨てた場合には
ワタベ氏と同じ末路になっていたことだろう。
責任を取った。
のである。
まとめ
子供には以下3つのルールを示す。
① 弱者である場合、子供が欲しいなら結婚して慎ましく生きろ。
② 弱者である場合で子供が要らないなら、1人で生きる覚悟をしろ。
③ 強者である場合、死んでも結婚するな!
である。
私は3人の息子が全員強者であることを望む。
よって結婚するなという。
子供が欲しいならどうするか?って?
結婚しないと子供を作らないのは日本人くらいですからね。
日本人なんか相手にしなければよろしい。
以上