「勤め人大家」から「大家兼業勤め人」という「神の導き」

働き方

私は勤め人として頑張ると空回りするタイプだ

私は勤め人として数々の輝かしい戦果を上げてきた。
1社目では入社2ヶ月目で回収額1,000万円という史上最速記録を出した。
(当社比)
2社目ではまたしても会社始まって以来の社外研修主席卒業という快挙を。
3社目でも手数料年間8,000万円の快挙をかまし、
4社目では証券化商品の収益性を2割ぶち上げるという快挙。
出向先でも8億円を7%で貸すという快挙を成し遂げた。
5社目でも分からないなりに巨額の利益をもたらしてきた。

しかしだな

思い出してみると、私は会社という組織に、
あまり評価されていないのである。
数字は出すが、しょうもないミスをする。
モチロン不正行為はしないが、日付の間違いや金額の間違いなど、
まぁどうでもいいミスが多い。

そういうことも相まって全く評価されない勤め人人生なのだ。
まあ、めぐりあわせってヤツもあると思う。
神様がお前は勤め人として上にいくな!
と、指示されている気もする。
そうとしか思えないことが多すぎる。

完全に窓際になってから、
私が窓際に追いやられた問題がスっと解決してしまったりする。

なんとなくわかる。
「お前は勤め人として働いてはいかん、そっちじゃない。」
というヤツだ。

神の導きのような何か?出世しないけど辞められない

かといって、勤め人なんてやめてやる!
と、決意すると、辞められないイベントが発生するのである。

少々センシティブな事件なので公表はしていないが、
例えばそうだな。
勤め人として転職してやろうとすると、
親が要介護になって仕送りが必要になるようなイベントである。

自分の力ではどうしようもない何かが、
無理やり方向性を決めているような気がするのだ。

勤め人として出世はさせない。
かといって勤め先を辞められない。
何かよく分からないが、そういう力が働いているに、
違いない。
「気がする」ではなく、「違いない」
と言って差支えないだろう。
そう確信すべきレベルで起きている。

明智光秀が織田信長に出会うべくして出会い、
最期、殺すような何か。
そんな力を感じる。

今や私の世帯年収は5,000万円を超えており、
CFも200万円を上回っている。

もう辞めていいはずなのだが、なぜか辞めさせない力が働いている。
恐らくその答え合わせが来る日は近い。
「あぁ、これだったか」
というイベントだ。

転職について

転職も考えていた。
同業他社からは、「お誘い」も多い。

同業じゃなくても、昔の知り合いから誘われることもあるし、
個人的に受けているコンサル先にそのまま入社して欲しいという話もある。
1社は社長待遇である。
社長待遇であるが、オーナーがキツイ(笑)。
あの会社に入ったらこき使われる代表取締役間違いない。
そんな理由で辞退だ。

もう1社は東北に出向する案件だ。
実家も近いので、妻子は千葉に置いて、
仙台あたりに単身赴任して老いた両親の近くに顔を出せるのもいいな。
と、思っていたが、なんと、具体的に考え始めた瞬間、
兄貴が実家に帰るといって、この4月から岩手に行ってしまった。
何という偶然というか、運命に逆らうな!
という強迫めいた感じ。

次の1社は前職の同僚がたくさんいる銀行子会社である。
ここは良い。
恐らく同一業界では最高ランクの転職先であろう。
定年までしっかり頑張れる場所だと思う。
しかしだな。
もう前の銀行子会社で、疲れたのだ私は。
仮に今と同じ年収で誘われても無理である。
私の性格上、この齢で世話になってしまったら、
恩を返すまでは頑張ろうと、そんなことになるに決まっている。
もう無理だ。

3社目も証券会社子会社だ。
やけに熱烈アプローチがあるのだが、
業務が金貸しである。
ファイナンスはやりたくねぇんだ俺は!
やるとしても俺に決裁権限を100%寄越せ!
それならやる。
そんな感じだ。
そもそも今時(イマドキ)、銀行の支店長でも1億貸せないのだ。
無理に決まっている。

4社目は地方銀行子会社だ。
ここは未だに惹かれる。
ただ九州である。
九州に単身赴任確定だ。
聖丁のすぐ近くである。

うーーーん。
聖丁に会いに行くのは良いのだが、
別に近くに住みたいわけではないし、Webセミナーもあるし、
音声コンテンツはどこでも聴ける。
九州はさすがにない。
私の拠点は千葉だ。

とまあ、そんな事情でどの会社も具体的に転職を実行するには力不足だった。
唯一東北のヤツは心が動いた。
仙台ー千葉は非常に近い。
3時間もあれば移動できる。

まぁ中年になってきて、本来のDNAが地元に戻れと訴えているのかもしれん。
しかし、兄貴の実家帰還によってそれも立ち消えになった。

つまり、私の運命は転職ではないということなのだ。

関ケ原前夜

勤め人+大家業

大家業を拡大して勤め人を卒業する。

これは、私にとっては、家康公の「天下泰平」の志(ここざし)に近いものである。
神君家康公が天下統一、幕府の安定を目指したのと同じだ。

その家康公に例えるなら、私の今の状況は
「関ケ原の戦い」の開戦直前の状態であると言える。

東軍、西軍。
敵と味方がハッキリ別れたこの状況。
(実は調略済)

大家業と、勤め人
ハッキリと差があった事業が拮抗したこの状態。

後は開戦の火ぶたを切るだけだ。
実際の関ケ原の合戦は「赤鬼」の異名を取る井伊直政が、家康の実子忠吉(直政の娘婿でもある)の武功とすべく奇襲したのが開戦の合図であった。
(抜け駆けともいう)

私の勤め人人生の関ケ原の舞台は、
まさに整っている。
このクダラナイながらもありがたかった勤め人人生。
すでにあらゆる出来事が茶番にしか見えない。

恐らく井伊直政は家康からの指示を受けて一番槍を取ったわけではないと思う。
そして、井伊直政が抜け駆けしなくても、誰かがやっていた。
もう戦いは避けられないのである。

残念だが、勤め人という器には私はもう納まりきらん。
別に経営者の器の方が大きくて、
勤め人の器が小さいと言うつもりはないが、
形が違うのである。

「湯飲み」に「とんかつ」は乗せられんのだ。

我は大家なり。
大家業にて勤め人を打ち破らんとす。
今まで勤め人に従い、従順な犬をやってきたが、
いよいよ大家の勢力は勤め人を上回らんとす。

勤め人に最期の一太刀を浴びせるのは誰か!
今川義元公を打ち取ったのは毛利新介だったが、
一体何が、私の勤め人人生を終わらせるのだろうか。

楽しみで仕方がない。

をはり