陰謀論に関心を払わぬこと

日々雑感

コロナワクチンは人口削減計画の一環である。

なるほど、ネットは便利なものであるが、
種々雑多な情報が飛び交っているため、
心を奪われてしまうの弊害もある。

新型コロナウィルスがChinaの武漢ウィルス研究所から流出しただの、
ビル・ゲイツが地球環境を守るためにウィルスを利用して人口を削減するための計画がある。
などと、私のように意図的に情報にアクセスしているわけでもないのに、
この類の「陰謀論」には事欠かない。

かくいう私も陰謀論的なものは信じているところがあって、
恐らく日本政府は故意に日本経済を弱体化させようとしていると本当に思っている。
そのために「国の借金」という誤った概念を流布させているのだと、
これは本当にそう思っている。
そもそも自らがコストほぼゼロで発行できる紙切れ(紙幣)を大量に発行したからと言って、返済不能に陥ることは100ない。
江戸時代であれば大判小判でその本質がゴールドであるから、限界もあろう。
そもそも現代のお金は紙ですらない、電子データである。
そんなある種概念のようなお金をケチって、窮乏する国民に対して補償なき経済活動の制限をし続ける(コロナ対策)のであるから、
これはもはや確信犯でなければできないことである。

裏にどのようなパワーが働いているのか知れないが、現実は現実である。

Gacktもコロナは「闇が深い」と言い、製薬会社が儲かっていることを指摘したりしていた。

そもそも「if」を考え始めたら、人間の発想力は無限であるから、
陰謀論などいくらでも思いつくのである。

関心の輪と影響の輪

名著「7つの習慣」にも記載があった、
関心の輪と影響の輪にも通じる。

要するに、自分がどうしようもないことには関心を持たず、
自分がどうにかできることに関心を持て。
ということであろうと思っている。

事実はどうでもいいのである。
仮に日本政府が意図的に国民を貧しくさせる政策を30年以上続けていたとして、
私にはどうしようもない。
影響を与えることはできないのである。
今から国政に打って出て選挙に出るのであれば話は別だが。

コロナワクチンに不妊のリスクがあるかどうかは知らない。
人口削減計画が本当にこのワクチン計画には内在しているのかもしれない。

しかし、私にはこれはどうしようもない。
私ができることは、自分がワクチンを打つかどうかの判断をするしかできない。
(ちなみに私は打たない)

自分の限りある人生を自分でなんとかできることに集中するのは正しい選択だ。

陰謀論をスルーして、自分が金持ちになることに集中する。

コロナはどうしようもない。
ワクチンがなぜコロナに効くのかもわからない。
そんなことは関係がないのである。

しかし、
コロナによって売上が減少していれば
「持続化給付金」が貰えたし、
緊急融資も受けられる。
これは自分の影響の輪の中にあるものだ。
これに関心の輪を重ねて、落ちている金を自分の手で拾うことができる。

ガッキーと星野源が結婚した(おめでとう!)。
しかし、これは全く関係のないことだ。
私には美人な嫁がいるし、息子もいる。
彼らの幸せを願うことまではするが、
それをあれこれ考えること(関心の輪をむけること)は、
全く意味がないことなのである。

影響の輪と関心の輪の考え方は非常に有効である。
あれこれ考え始めたら、
「これは、俺が何とかできるものなのか?」
と、立ち止まって欲しい。
もしそれが自分の影響の輪の外にあることであれば、
関心の輪を外すことだ。

そして自分が少しでもハッピーになれる影響の輪に立ち戻ろう。
陰謀論など喰らっても腹は膨れない。