若かりし頃のトラウマ

落とし穴

実は私の実家の父は
「勤め人+アルファ」の実践者であった。

それも、3つ以上の事業を並走させていた。
当然、祖父や祖母も共に経営をしてきたわけだが、
大変な仕事なのである。

① 勤め人(田舎らしくJA職員)
② 農業(米中心、当初は自分の畑はなかったそうだ)
③ 林業(山林投資)
④ 畜産業(牛肉オレンジ自由化に伴い撤退)

特に畜産業が、牛肉オレンジの自由化までは稼げたようだ。
やはり自国の産業を振興するには保護貿易を徹底することが大事だ。

中国がGAFAの侵入を拒否し、自前で産業を育成したことは、
中国が今世界第2位の経済規模を有するに至ったことと無関係ではあるまい。

現在70歳に近い実家の父親は、勤め人を卒業、
畜産業からも撤退。
農業と林業を中心事業に据えているが、
残念ながら、
私に言わせると、父親のメインビジネスは
「年金」だ。

年金の収益性が最も高い。
また、若かりし頃に掛け金を支払ってきた保険の収益。
これらが、メインビジネスだ。

林業の収益はまさかのゼロ。
ほとんどが維持管理費で消えている。
樹木が売れるのはまだ先だそうで、
数十年に1度しか売上が立たない商売らしく、
父親の生存中は売り上げが見込めないそう。

周辺の林業事業者は、事業規模が父親の数百倍あって、
それでやっと貧乏サラリーマン並みの年収が確保できるかどうかとか。その他他人の山林の手入れをして手数料を得ているようですが、海外の木材と競争していくのは相当ハードモードなようです。

無論農業も相当厳しい。
これも事業規模が相当必要で、
さらに農機具が高い。
これらに投資する資金力が必要ですが、
父親はどうやら年金や過去の蓄えを切り崩して農業機械に充てているようです。
農業機械へ投資をした以上はそれをフル稼働させて生産量を上げる必要がありますが、その規模は父親の所有している農地の規模ではまだまだ小さいようです。

地平線の彼方まで俺の農地。
と、言えるまでの事業規模に拡大しないことには海外、北海道の農産物の価格と伍していくのは厳しいことでしょう。

詳しく財務を分析したわけではありませんが、
それが実態だと思います。
もう70歳にもなったならば、農林業に投資などせずに、
不動産にでも資金を振り向けて気楽に生きたらいいと思うのですが、旅行をするよりも何よりも農業に投資するという生き方を父親は選んでしまっている。

そう、その生き方を選んでしまっている。のだと思います。

これはきっと若かりし頃に、
祖父が小作農家、いわゆる「水飲み百姓」状態であった頃のルサンチマン、人生の復讐なのではないかと思います。
若い頃に土地(主に農地)を所有できなかったことに対する人生の復讐なのでしょう。
それを達成した時点で、まあ、父親の人生の目標は達することができたのかなと思います。
よって、収益性云々はさておき、納得して死ねるのではないでしょうか?

自分の人生の怨念はどこにあるのか?

人生では、「乗り越えるべき試練」が与えられるそうです。
産まれる前に自分で決めて、その試練を克服するべく人生で四苦八苦するのが、一生だと思います。

父親の人生と比べ、私は何だったのか?
と思いますと、まあ、色々思うところもあり、
さらに、今直面している「苦しみ」もあります。
まだこの場では書けないことですが、
小さいことでは
「学歴の獲得」
「高収入の獲得」
にありました。
さらに
「太りやすい体質を克服していわゆるモテる体重になること」
これも克服したい課題です。
人生を妨害してくる様々な「嫌なこと」
それはきっと、
私(あなた)がこの人生で克服すべき課題なのでしょう。

私も人生の課題
「田舎者コンプレックス」
「学歴」
「貧乏」
「女性」
など色々克服してきたものがありますが、
40歳にしてまだいくつか克服しておかねばならない課題が残っています。
まあその1つが「体重のコントロール」や、
あと数点。

なんとか克服して、
この世を去るときには悔いなく去りたいものです。
悔いが残るとまた人間に転生してやり直さないといけませんからね。

という、夏らしく、霊的な話を入れてみました。

をはり