立花 宗茂

戦国武将研究室


立花宗茂(たちばな むねしげ) 生誕 1567年9月20日 ~ 死没 1643年1月15日 ※享年77歳

志は「西国無双」 
その忠義鎮西一、その剛勇また鎮西一
二人の父より授かりし武魂、世に知らしめん

生一本の勇士 

攻めれば必ず取り、戦えば必ず勝つ寄正天性の我が武、鬼神をも屠らん

立花の流儀

戦の勝敗は兵の衆寡で決まらず 信義に命を賭けて戦うが我らの流儀なり

生一本の勇士

宗茂は若年のころより、
その抜群の器量を見出されていました。
秀吉の九州平定の際にも数々の戦場で戦法を努め、
不利な戦況においても多くの功績を挙げました。
時の関白・秀吉からも高い評価を受け、世に
「生一本の勇士」と称賛されたのです。

基本(剣と笛と):決戦での初撃の攻撃力が大きく上がり士気の自然回復量が大きくなる

条件(窮地に走る疾風):決戦で部隊の移動速度が上がり、戦況が不利に動いている時に家臣が提案しやすくなる

条件(柳川の奇跡):籠城戦で士気が下がりにくくなり領内で決戦すると部隊の攻撃力が上がる

悪(世間知らず):拠点を失うと家臣の忠誠と民忠が大きく下がる

立花の流儀
雷神の太刀と孫子の兵法を用いて戦場を制する道雪は、武勇に優れ忠義にも篤い、当世の良将とされていました。武士のあるべき姿を過信にも説き、時に主君への諫言も辞さない質実剛健の流儀は後継者の宗茂にも受け継がれていきます。

基本(迅雷の兵法)敵より少ない兵数で決戦すると部隊の攻撃力が上がる
条件(文武両道)軍事意外の施策力を多く獲得できる
条件(功ありて誇らず)足軽の俸給が安くなる
悪(義理堅実)親善の効果が下がり、同盟勢力以外との交渉が不利になる。

統率 86
武勇 98
知略 81
内政 61
外政 72

伊達成実と並んで、最後の戦国武将ですね。